日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

商売上手

昔から米は十キロの袋だった。いつしかそれは五キロになり今では二キロを買っている。家族も減りそこまでご飯を食べるわけもなく、麺類やパンも食べる。それに二人の食卓なのだからなかなか減らない。二キロはシルバーエイジには適当なサイズだった。

お米二キロの袋はブランドに拘らなければスーパーで千円程度で手に入る。しかしブランドは異なるかもしれぬがそれが1300円で売られるとしたらずいぶんと良い商売をしているなと思う訳だ。

関東も関西もそうだろうが電鉄会社がスーパーマーケットを経営する事例は多い。自分は関東の城南地区しか知らぬが、北から京王ストア、オダキューOX、東急ストア、京急ストア相鉄ローゼンとなるだろう。京王ストアとオダキューOXは自宅生活圏からは遠くなる。やはり良く行くのは残り三つのスーパーだろう。これらの中で群を抜いていると自分が思うのは東急ストアだった。置いてあるものが特段良い訳ではないが「東急」という名前がハイセンスを感じさせるのだった。実際鉄道駅高架下のどの東急ストアに行ってもセンスがある。渋谷の「東横のれん街」も洗練されている。只のデパ地下とは違うように思う。

ではそれが何と言われると分からない。多くのテナントはどのストアでも共通していて特異性などないのだ。

東急電鉄は実業家五島慶太氏が造り上げた電鉄会社だった。終戦後ただの原っぱだった城南地区に鉄道を設置し、さらにその鉄道周辺を宅地化して街を作りあげ人々を誘致するというビジネスモデルは、延々に回るエコシステムだった。慧眼だ。高級住宅地で知られる田園調布駅から放射線状に広がる計画的な道路づくりがその例だろうが、その影響は数駅西へ進んだ日吉駅にも見られる。東京都横浜市民・横浜市東京都民 と揶揄される横浜市青葉区やその東のたまプラーザの街並み、そして二十万以上が暮らすと言われている西の港北ニュータウン。これらは東急電鉄が無ければ今のような形ではなかっただろう。少し町全体が歳を取ったと思わせる場所もあるにはあるが、これら東急東横線田園都市線の沿線にあるのは「ハイソサイエティ」な雰囲気だろう。裕福で幸せそうな家族がそこに居る、そう思わせる。子供と大人が手に手を取る東急ストアのマークは今でも洗練されているし、そのマークがあるとお洒落な気分がしてくる。思わず店先に入ってしまう。

ブランディングはB2C事業に取り大切な要素だ。いったん毀損するとなかなか元に戻らない。東急電鉄はこれをうまく造り上げ育て上げてきたのだと思う。

今日も近所の東急ストアでやや高価な品物を買ってしまった。同じものを安売りスーパーで買えばずっと安いのだがそれでは心が潤わないのだった。まったく商売上手だなと思う。それに引っかかる自分も成長が無いと思うがそれも良いではないか、とも思う。また東急沿線の駅回りの商店街も雰囲気が良い。決して自分の住む街の最寄り駅にはないような木造りのカフェもある。ときどきテレビのロケやドラマの撮影も行われている。

一方で悩みもあるのだろうか。スーパーは小洒落ているけどお高いわ、とでも住民は思っているのだろうか。結局それは他人の芝生が綺麗に見えるだけなのだろうと思うと少しだけ溜飲が下がる。自宅から一番の最寄の鉄道は旧東海道と工業地帯の縁を走る赤い電車京浜急行だった。実際下町を走る京浜急行の駅で降りて商店街を歩いてみると余りに庶民的で開放的な雰囲気にとても魅了されるのだ。海老二本にイカとキス。天婦羅盛り合わせ400円なる紙皿でもあったら口笛物だろう。京急ストアもお洒落ではないが何気に安い。

五島慶太氏の作った街も、古くからの庶民の街も魅力にあふれるのだった。自分はそんなところを行ったり来たりして楽しんでいる。今日は心だけリッチで、明日は庶民的で。そう、本当に好きに楽しめばよいのだろう。

銘菓・食品街も目新しいものがあるわけでもない。スーパーに至っては一般より二割は高いだろう。それでも買い物客が来るのはブランドの力だと思う。

銘店街は青いローマ字のロゴで。ストアには赤い親子のマークなのだろうか。そんなロゴまでも上手く切り分けされているのは流石に思える。