日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

珈琲とおにぎり コピ・ルアックの呪文

夫婦して罹患したコロナ、処方薬の効果もあり、ともに具合は今朝からよくなってきた。

自分は読み残していた本や再度読もうと思った本を書棚から持ってきて、解熱剤で熱が下がっては数ページ読んでは、又眠り。

昨日までは読書中心だったが、今日は少し時間つぶしにとサブスクで映画を見た。正直映画は束縛される時間が長く苦痛で、余程興味を持ったもの以外はあまり見ないのだ。

しかし久々に「かもめ食堂」を見た。少し昔の話だ。なにせ北米便か欧州便かも覚えていない。がその時に飛行機の中で観て、そうだ、もう一度見よう、と今回頭の中に電球が灯ったものだ。好い印象の映画だったのだ。

小林聡美主演、共演陣に、片桐はいりもたいまさこ。癖のある演技派が並ぶ。フィンランドヘルシンキを舞台にした小さな食堂の映画はとてもスローで改めて見ても良い雰囲気だった。働き盛りだったあの頃と、もう本格的な仕事も辞めてしまったこの年齢で見ると、見え方が違う。感受性も年齢により変化するのか。この年齢なら当時よりも、より感じるものがあった。こんな年齢でもまだ感受性が錆びついていないことは、驚きでも喜びでもあった。

スロー、森、やすらぎ、癒し、自分らしさ、自分探し …

そんなキーワードが映画の随所に散りばめられていた。

また画面に出てくるヘルシンキの街も懐かしい。これももう一昔以上も前の話となった。当時住んでいたドイツから出張で訪問したヘルシンキは2月の夜。海辺の宿。レストランに向かうためにホテルを出たら、バルト海の寒風にジーンズは即座にバリバリに凍りついた。オレンジの街明かりが霧に滲むがそれはすぐに海風で飛ばされ、透明で消え入りそうな明かりが残るのだった。夏のヘルシンキは見ることが出来ずに残念だったが、映画で見るとストックホルムの港と同じ空気感だった。

映画を見る前にベッドでたまたま読んでいた本が、トーベ・ヤンソンの「楽しいムーミン一家」。これを読んで、ムーミン一家の家族構成がようやくわかった。オリジナルのムーミンのイラストも挿入されていて、夢のある楽しい本だった。子供の頃テレビアニメでしか接したことのないムーミン。当時なんとなく子供心にもスナフキンに憧れていたが、今読んでも彼には不思議な魅力を感じる。

そんなムーミンパパとムーミンママの描かれたマグカップとマグネットをペアでヘルシンキで買った。が、ドイツに帰国してから間もなく床に落としてパパのカップを割ってしまった。今はママのみ、寡婦になってしまったのだ。さきほどそのムーミンママのマグに「かもめ食堂」で描かれているように「コピ・ルアック」と呪文を唱えてコーヒーを淹れてみた。

ただのパック入りドリップコーヒーが、確かに美味しかった。

そして、かもめ食堂の看板料理である「おにぎり」が無性に食べたくなった。おかずは脂ののった鮭に粗塩を振って魚網で焼く。映画のようにだ。漬物も冷蔵庫にあるだろう。

心配していたコロナには罹患したが、夫婦とも無事峠を越えた。食欲は終始失わなかったが、味覚も嗅覚も失われてはいなかった。呪文を唱えたヘルシンキ流?のコーヒーで一気にプラス方向に戻った。素敵な食べ物があるのは素晴らしい。4日間レトルトとパン、冷凍食品と、まともなものを食べていなかった。それも仕方がない。

さて、「おにぎり」に向けて、コメを研ごう。そしてもう一杯、「コピ・ルアック」でコーヒーを頂こう。健康のありがたさを感じながら研ぐコメ。あまり強く研ぐとうまみが取れてしまう。いくら早く食べたくともスローに研ぐんだね。物事への取り組み方として、そう映画が教えてくれたように思う。  

ムーミン谷があり、素敵な食堂もあるあの街。森の国フィンランドヘルシンキにいつか又、行くことがあるのだろうか。

ムーミンの里、ヘルシンキの思い出が湧いてきます。映画のように、ゆっくりとコーヒーを飲み、夕餉を想像します。健康のありがたさを感じます。