昨年の今ごろ、いや少し前だろうか。道路わきに野生の蕗の群生地を見つけて、少しまとめてとって煮物にしたのだった。今朝犬の散歩をしに外出した妻がビニル袋に半分くらい、蕗を摘んできた。今年は少し遅いね、そんな話をした。この春は真夏日はあれば10℃代に下がる日もあったり、と寒暖があったからかもしれないわ、と妻は続けた。
南斜面に映えているので、成長があまりよくない。今年も小ぶりの蕗だった。昨年は素揚げして塩を振って食べたことを思い出した。今日は職場で頂いた自家製の春菊もあり、宮城から遊びに来た友人の頂き物の「笹かまぼこ」もある。豪華な夕食になりそうだった。
少し疲れたので昼寝をしていると、妻は手際よくフキと油揚げの煮物と、春菊の炊き込みご飯を作っていた。作ってもらいながら「たんぱく質が、足りないよ」と文句だけ言うのだから手に負えない夫だった。先日買った半額シールの張られたカツオの切身が半分残っていた。煮物にそれを加え、臭い消しに生姜チューブを絞った。
季節の食べ物は、暦になる。再びそんな食べ物を食べたなら、一年の経過だ。日時計ならわかるが年間食べ物時計とは何とも大きな時計板が必要だろうし一周には時間がかかる。しかしそれが実はすぐに回ってくるのだ。
巡り巡って一年経った。その間、何をしたのだろう。何かを残したのだろう。何もない。気づけば年が過ぎてしまった。そう簡単に一年の成果などはでないのかもしれない。何かを残すという目標?そう大上段に構えずに、健康ならばそれで良いのではないかとも思う。
来年の蕗は天候に恵まれてもう少し立派ならばいいね、と言いながら、摘んだものと頂きものだけの季節の夕食だった。