日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

絞られた大倉尾根・塔ノ岳

丹沢主脈の表玄関と言えば塔ノ岳(海抜1491m)。ルートは幾つがあるがバス停のある大倉(海抜290m)からが一般的だろう。その標高差1200mは一日のアルバイトとしては自分にはきつい。日帰りの山では800m程度のルートを選ぶのだから。

このルート、大倉尾根の俗称は「バカ尾根」。その名がこの尾根の愚直なほどの長さと登りを示している。

北アルプスや飯豊などの大きな山に入る時にはこの1200メートルがベンチマークになる。バカ尾根よりキツければ日帰りとしてはかなり悩むし、そうでなければなんとか行けるか、となる。

脳外科手術と科学治療後。頭には常にしびれと欠如したバランス感。弱まった体力と遅くなった歩行速度。そんな自分の限界を知りたかった。以前のように登れるのだろうか、バカ尾根を。

結果的には絞られた。キツイを通り越していた。スタミナもそうだが、左足がつってしまい、山頂断念かとまで思った。ふくらはぎに続いて大腿四頭筋まで。ウォーキング、ジム、サイクリング。病後にも注意しながらそこそこ鍛えているはずの足の筋肉は歯が立たなかった。

意図的に水分を多く取り、足の「つり」の特効薬と言われる「芍薬甘草湯」を取り出して飲んだ。一息ついて這うように山頂へ、最後の階段道は、無限だった。

筋肉が冷え固まる前に下山。しかし今度は右足にも来た。水分を摂り少し経つと、歩けるようになる。その繰り返しだった。

山と高原地図2011年度版ではコースタイム登り3時間30分。下り2時間20分(休憩なしのコースタイム)。それを自分は登りに4時間20分、下りに3時間5分かけた。それぞれに休憩を入れたにしても時間がかかった。登りでは堀山(943m)に立ち寄りアマチュア無線運用をしたがそれによるロスも5分程度だろう。

脚の痙攣に加えて、体力が極限だった。雑巾を絞るようにして出していたエネルギーも、最後には絞っても何も出なかった。いや、絞る事すらできなかった。

幾つかの後悔を下山後にしている。次回には生かそうと思う。

・標高差が大きくとも、日帰りの山だった。その意味で、休憩には無頓着で登った。大きな山や縦走では、1時間歩いて10分休み、そこで水分補給とチャージ。それがルーチン。次回の休憩は何時に、と決めて登るのが定石だった。 日帰りのハイキングでもそうしてきたが、だいぶ前からそれもしなくなった。足が進むうちは「きりがいい」ところまで歩こう、としていた。きりなど山頂迄になかなか来るものでもない。「初心忘るるべからず」というのに。
・もう真夏の山ではない。汗も少ないだろう。夏山に欠かせぬミネラル補充。塩分チャージ飴やアミノ酸サプリなどを持ってこなかった。
・水分補給が十分でなかったのではないか。休憩が少なければ、結果的に水分補給は減るだろう。

登山での足のつり・痙攣は水分不足、ミネラル不足、筋力低下、体温低下がある、とサイトで書かれていた(*)。日頃のトレーニングや季節がら後者2点ではないだろう。

久しぶりの大蔵尾根はきつかった。絞ろうにも残滓ゼロ。滓まで出した。

大蔵尾根は25年ぶり?くらいだろうか。記憶の中の風景は変わっていた。コースタイムを切って登った記憶のみがあった。何度登り、何度下ったか、その記憶も判然としない。きついけど、辛くないルートだった。今も同じわけがない。

しかし、塔ノ岳からの展望は素晴らしかった。最高峰の蛭ケ岳は雲の中に隠れていたものの不動の峰やその西方に続く檜洞丸への稜線は大迫力だった。丹沢主脈・丹沢主稜。「丹沢ってこんなに見事だったっけ?」と思う。あの奥まで、久しぶりに歩いてみたくなる。そんな風景だった。下山の辛さに耐えかねて、バカ尾根にある花立山荘と観音茶屋でかき氷と牛乳プリンを食べた。お手製の素朴なものが、信じられない美味しさだった。

自宅のベランダから毎日眺めることのできる丹沢の稜線。冬はくっきりと見える。もっぱら自分の興味は富士の展望ではなく、その右手の丹沢の山並み、そして真冬の少ないコンディション時のみに見える南アルプス北岳に釘付けになる。丹沢の山並みではどでかくみえる大山の右隣に目立たぬように立つ山が塔ノ岳だ。

翌日早速ベランダに出て、苦戦した見事なピークを視認した。わずかの時間で、まだ夏の名残を漂わした雲に、山は隠れてしまった。

参考サイト:(*)https://greenfield.style/article/110205/

多くの山がそうであるように大蔵尾根も登りはじめは杉や檜の人工林。高度を稼ぐとブナやコナラの自然林となり、その緑に癒される。

夏雲をまとう富士山を西に見る。富士と愛鷹山の位置関係がよくわかる

立山荘まで頑張ると目指す塔ノ岳が近くなった。

塔ノ岳山頂からはさらに奥へ。主稜・主脈の山々が深い。

塔ノ岳山頂の尊仏山荘は昔と変わらなかった。何度泊っただろうか。ある冬の夜。凍てつくガラス窓から見た関東平野の明かりを忘れることが出来ない。窓の水滴が滲んで、明滅するかのような街の灯だった。

関東平野からは無神経なほど大きく立つ「大山」も、塔ノ岳から見れば眼下だった。