日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

●脳腫瘍・悪性リンパ腫治療記(12)「頭に浮かんだこと 脳外科ICUにて(4)」

ICUに入って何日目だろうか、スマホが使えるようになった。頭にたくさんのことが浮かぶ。家族。家内も娘たちも心配していることだろう。しかし今はコロナという事もあり見舞いに来ることも叶うまい。必要なものは家内が持ってきてくれるがそれも階下の受付までだった。

歩行も不自由な今、自分は何もすることがなく、また時折記憶も遠ざかる。頭の中での時間軸は失われていく。寄せては引いていく波のように、いろんな音楽や風景が頭に浮かんでは消えていくのだった。

「抜管」で覚醒した時になぜか頭の中でなっていたロック音楽。高校生以来40年間一切聴いたことがなかったのに何故かこのメロディが頭をよぎったのだった。大脳皮質の何処かに長く埋もれていたものが、突然産声を上げて出てきたようなものだった。生命力にあふれた力強いボーカルと、心臓の鼓動のような強いビートの曲、タイトルは覚えていないが、いったい何の曲だったか。そう、当時は治せぬ病で世を去った今でも伝説のカリスマボーカリストだった。

脳腫瘍と診断されたとき、なぜか嬉しそうに「聞きたいな」と口走ったというモーリス・ラヴェルの音楽。特にそれは、ラヴェルの生家があるフランスはパリ郊外のモンフォール・ラモリの美しい田園風景とともに懐かしく頭の中に再現されるのであった。広葉樹に囲まれた小高い丘の上にラヴェルの家はあり、彼はそこでいくつもの僕の好きな作品を作曲したのだった。そこが気に入った自分は当時住んでいたパリから自転車を電車に乗せて、何度かサイクリングにも出かけた。フランス印象派の、すばらしい色彩と音が、そこにはあった。

ある年の5月連休で友と訪れた北の山、毎年山々をスキーで登り、駆けるのがこの季節の楽しみだった。ある年はそれが青森の八甲田だった。山を終え里に下りて、友の求めに応じて山麓にあったこけし博物館に立ち寄ったのだった。友の母親は病床にあり、その母が好きだという「こけし」を友は買い求めるのだった。母親のために純朴なこけしの中からお気に入りの一品を見つける友の姿とその優しさに、何故かそれを思い出す今、涙が出たのだった。あの素朴な南八甲田の風景とともに、その空気感とともに思い出すのは友の優しさと、また山に行きたいという気持ちだった。

ステージの上はライトを浴びるし、何よりもミスをしてはいけないからいつもドキドキする。ヴァースとブリッジ。曲の構成を間違えないだろうか、曲のキーを間違えないだろうか?ドラムスのリズムを聞きながら懸命にベースを弾いている。そうか、僕はアマチュアバンドでベースを弾いていたな。キメがバシッと決まった時に、思わずドラマーやメンバーと目が合う。これが気持ちいい。しかしその光景も点滅するステージ照明の中に薄れていってしまう。

学生時代の友人達。卒業してから継続して会っているのは数人もいない。しかしみんな友人にはそれぞれ思い出がありそれがひどく懐かしく思う。

家族のことは当然だがそれ以外の社会でのかかわりについての風景が多く浮かんだのは意外でもあった。自分には仲間がいる。そんな仲間との交流は今後とも続けていきたい。しかし何よりも、「自分の好きな山。そこは空気もきれいで都会のざわめきもない。そこには山の生活を楽しむ友人もいる。そんな山の見える場所でゆっくりと生活したい。だから僕は負けるわけにはいかない。」

その強い思いがベッドの横たわる自分をいつも覚醒させてくれるのだった。好きな音楽や友の事を考えいつしか混濁し、山の姿の空気、匂いで目が覚める。いったい何日そんな日が続いたのだろう。

食事のメニューも「流動食」がやがて「刻み食」になった。まだまだ固形食にはならないのだろう。さて自分は何を待っているのだろうか・・。