日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

故郷を思いて

フランスという国は今でも多くの人にとり魅力的なのだろうか。藤田嗣治高田賢三など同地で名声を得た日本人も多い。パリコレのランウェイを歩くことはモデルにとり最高の名誉だろうしコンセルヴァトワールは音楽を志すものにとり憧れだ。料理の世界でもシェフ、パティシェ、ショコラティエ、ソムリエ、目指す人にとりやはり憧憬だろう。挙げだしたらきりがない。

幸いにそんな地に5年弱住む機会があった。転勤先の現地法人にMさんという女性が居らした。秋田生まれの小柄な方だった。駐在員ではなく現地採用の方だった。

長く日本を離れているのだろう、彼女のフランス語は現地人に言わせると日本語訛りだ、という事だったが自分には流暢に聞こえた。しかしその日本語はすでに時々怪しかった。住むならパリ16区がいいなという我儘な家探しから役所の手続き、予防接種手続きなど。いろいろ手を焼いてくれる彼女には我が家としてお世話になった。彼女の伝手でコルシカ島の素朴なコテージを借りそこで過ごした夏のバカンスは今でも色あせぬ記憶だ。

親しくなり彼女とパートナー氏が住むヴェルサイユのアパルトマンには何度か遊びに行った。「宮殿ばかりが有名だけどここはとても住みやすいのよ。安いマルシェもあるし」と嬉しそうに案内されたそこには古いグランドピアノがあり、彼女はモーツアルトピアノソナタをとてもゆっくりと弾くのだった。行きつ戻りつ。一音一音を確かめる、ぎこちない、いや、音を愛でるようなピアノだった。淹れてくれた苦いカフェを飲みながら、自分は音をかみしめた。

ロココ調を模したような風呂があった。ここに彼女はバラの花でも浮かべて風呂に入るのか?そんな思いを抱かせる家だった。古道具店で買っているという骨董品も多かった。

ラヴェルフォーレドビュッシー、Mさんはやはり色彩感にあふれるフランス音楽が好きだった。音楽好きが興じてフランスまで来たのだろうか。何かの拍子で故郷の話になった。秋田と聞いて「Mさんやはり秋田美人ですね。食べ物も美味しいんでしょ? お米、ショッツル、ハタハタ、キリタンポ。あと竿灯と横手のカマクラ、見たいな」。そんな浅はかな単語をひねり出したのは次の会話が欲しかったからだった。しかし彼女は遠い目をして、あまり多くを語らなかった。普段のおしゃべり好きとは別人だった。 

「年の離れた弟がいてね、貴方くらいの歳なの。もう両親にずっと会っていないわ」

パリの街を我が町の様に歩き、現地人と挨拶の抱擁を交わすMさんが、実はなにかとても寂しいものを裏側に持ちそれに支えられているのではないか、とその時思った。しかしそれ以上の詮索も意味が無かった。

PCに入っているモーツァルトピアノソナタを何気なく選んだのだった。それは三寒四温を繰りかえす冬の夜に、少しだけ寂しい気持になりたかったからだった。今日はことのほか寒かった。どんなに無邪気で美しいメロディでもその根底には澄んだ悲しみが横たわっているモーツァルト。椅子にもたれて聴いていたらMさんを思い出したのだった。

止まっては戻るぎこちないあのソナタは誰の録音よりも美しかった。それは望郷の念に根差しているからにちがいない。でなければあれほど透明で切ないモーツァルトはあり得ない。しかしあれが全18曲のソナタのうち何番だったのかはどうしても思い出せなかった。

長き年月の中に彼女の連絡先は失われていた。しかし今でもヴェルサイユで、世界一美しいモーツァルトを故郷を思いながらぎこちなく弾いているのだろう。望郷の念に駆られたとき、悲しいとき寂しいとき苦しいときに、人は一枚皮が剥け何か新しい世界を見るのかもしれない。何とアイロニカルな仕打ちなのだろう。

今年の日本の冬は偏西風の流れが変わり低気圧が猛威を振るった。日本海側の雪は例年にもまして多く、秋田も然りだった。

あの街の雪だより、彼女に届いただろうか。

宮殿前の喧騒を離れると思いのほか静かな街だった

宮殿の外壁辺りをランドナーで走ったのだろう。「自由・平等・博愛」の三色旗が風景に溶け込んでいた。

PS: 記憶をひねり出すのは容易ではないが、ゆっくりと弾かれていたのは12番か15番ではないか。いずれも美しく、寂しい。マリア・ジョアオ・ピリスの演奏にて

12番 https://www.youtube.com/watch?v=wZRIATHp4fI
15番 https://www.youtube.com/watch?v=CN7-ke4YIrg