日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

輝くはずの街

新人社員研修も終わりだった。「皆さん配属先の名刺ができてますよ」、と渡された自分の名刺にはとある街のオフィスが書かれていた。億ションなどとも言われる真新しいタワー型高層住宅が並ぶその街は、昔ながらの街から新しい世代へ変化を遂げ活気があった。その街には自分の再就職に尽力をして頂いた人材派遣会社の事務所があった。

担当のエージェント氏は眼光は鋭いが穏やかに話す方だった。自分が何故会社を早期に辞めたのか、何をやりたいのかを時間を費やして聞いて下さった。一通り自分を理解すると適職を紹介してくれた。

はて本当に人様に役立っているかも分からぬ商品を作る会社で販売や絵に書いた計画作りを生業にするよりも、何か人様に役にたてることはないか。また海外事業に携わり感じてきた事。国際交流を深め相互理解を深める事に貢献できまいかと。更には利益追求の会社という組織にも疲れていた。そのために人を減らすという会社の希望退職は渡りに船だったと。そんな自分の考えを彼はしっかり理解してくださった。

履歴書、職務経歴書の書き方、面接トレーニングというコーチングと就職の紹介は並行していた。地区センターの館長、海外就学生をケアする法人、色々紹介して頂いた。どれも魅力的だった。そんなとき言われた。ウチも募集してるよ。受けてみない? 再就職支援エージェントか。願ってもない職種だった。

どんどん良くなる法華の太鼓、とはこのことだった。すぐに採用が決まった。学びは新鮮で楽しかった。配属は眼の前だった。

しかし好事魔多し。あと数日で終わる研修を前に、ある真冬の晩に倒れ救急車に乗り、開頭手術・抗がん剤放射線治療と続いた。半年以上の治療に試用期間は終わり自己都合退職届を提出した。

二年が経った。入院した病院は期せずして自分が働くべきオフィスがある街に在った。病後のフォローで通院は続く。しかし駅の向こうの街角には行きたくなかった。自分はそこでバリバリ働き面談者さんの悩みとその後の笑顔に接し、街は光輝に溢れるはずだった。心残りはお世話になったエージェント氏にきちんとした退職挨拶が出来なかったことだった。彼は自分が同僚になることをとても喜んてくれたのだった。

所要で駅の向こうに行く必要があった。少し迷って懐かしい建物に入った。エージェント氏は在宅勤務とのことだった。しかしすぐに折り返しの電話があった。

病を心配していたこと。元気そうで安心したこと、自分の今の非常勤の仕事がやはり人様の役に立つ職種と知り、あの時の望み通りだね、と言ってくれた。直接お会い出来ないのだけが残念だった。しかし自分も輝くはずだったあの街で、彼はまたあの静かな口調で悩める方々を相手に尽力されていることは確実だった。

どこに分岐点があったのだろう。線路の分岐機は意志を持ち切替えない限り動かない。何故転轍器の梃子を倒したのだろう。本線から支線へと明らかに意図せぬルートに導かれた。重いはずの梃子は何かに導かれるように勝手に切り替わっていた。誰にも理由はわからない。

たとえ草ぼうぼうの錆びたレールであっても、そこを走るしかない。強いて言えば大勢が往来する本線のルートは動かせないが、たいした人数も利用しない支線なら今後も現れる転轍機を如何様にでも動かせよう。今度は自分の意思で。

午後の緩い日を浴びるガラス張りのビルを僕は眩しく見るのだった。そこは確かに、輝くはずの街だった。今は違う風景が、僕を待っている。エンジンをかけ振り返ることもなく車を動かした。

真っすぐな本線から枝分かれする支線へ。分岐器を境に世界は変わる。期せずして自分は支線側へ向かっていた。

自分が自らの意思で動かしたのはとある鉄道会社の車庫見学でのこの転轍機だけだった。その梃子はとても重かった。しかし人生の転轍機はいつか勝手に切り替わっていた。何故なのか、今も解らない。