銀座といっても駅前からアーケードが伸びる〇〇銀座ではない。三越と服部時計店の交差点のある本物の銀座だった。所要で出かけた。用が済み駅に向かう。と、西洋人の若い男女がスマホを見て困っていたようだった。自分は放おっておけない口なので、なにかお困りですかと話しかけた。
このあたりで寿司レストランを探しているがどこか知ってるか?
それはお門違いだった。自分もこんな場所にはもう縁もなくましてや回る寿司しか食べたことがない。またこのあたりの寿司屋はミシュランにでも載っていそうだ。白木造りの寿司屋とは値段表がないとても危ない場所、個人で行くべきでない、と思っていた。
が、築地場外ならチラシを食べに行く店があった。ランチなら手頃だ。外国人も多い。「少し遠いけどこのあたりは昔のフィッシュマーケット。ここならいくつも店もあるし値段の書かれた写真あるからね」、と彼のスマホをなぞった。
気づいたのだ。旅行トランク以外にスキーのケースがあったのだ。
スキー!どこへいったの?
ミョウコウ。ラブリーな雪だった。
オーストラリア人?
そう、シドニーから。
多くのオーストラリア人があのあたりの廃業したインを引き継いでいるよね。
うん、友達がやっているよ。そこに1週間ステイしたよ。
我ながら小学生レベルの英語だった。しかしとても楽しかった。人と話すことが楽しくて仕方ない。会話が続き色々な世界が開けるのが魅力だ。それが外国人なら更に。
浮かんでくる言葉を少しだけ頭で整理して口にした。しかし頭で整理するというステップにはもどかしさがあった。そんな回路を経由せずに会話していたのだから。三人称単数複数、現在完了形、仮定法… すべてどこかへ飛んでいた。寿司屋の場所に加えオーストラリアについてあまり知らないことにも気づいた。町だってせいぜい5都市程度しか浮かばない。あとはグレートバリアリーフ、エアーズロック、コアラにカンガルー。アボリジニーズ、これでは会話が進まないだろう。もどかしさがに加え無知を恥じた。
ビジネスツールだった英語はいつか遠くに行ってしまった。しかしワクワク感は自分に力を与えてくれた。どうやらコロナも収斂してきたのだろうか。再び外国人観光客が増えるのだろうか。
欧米から帰国するたびに思っていた。日本人は無益な挨拶もしないし他人と会話をしない。スーパーやコンビニで店員相手に何故「こんにちは」がないのだろう。しかし向こう三軒両隣、そんな言葉もあったくらいだから挨拶はあるはずだ。いやそれも向こう三軒の距離だけなのだろう。
それが国民性ならばましてや言葉の異なる外国人とはなかなか触れ合う事もないのだろうか。すると自分たちの世界にヌッと首を突っ込む自分はどう見えたのか。こんな奴もいるのです、と、もし彼らが滞在中に孤独を味わっていたならそれを払拭してほしい。日本と日本人ををよく思ってほしいと思う。彼らの日本観が良くなれば嬉しい。実は多くは善良な国民なのだから。
彼らは無事に築地迄歩いたのか?あの荷物では無理だったか。しかしまた来年も雪を楽しみに来てくれるのなら、こちらも錆びたスキー板を出そうと思う。そうだ、まずは白木造りの「回らない寿司屋」をきちんと体験しなくては。つぎはもどかしく思えぬように、良い理由が出来た。