日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

仲間と愉しむこと

ムジィチーレン。そんな言葉はいつ覚えたのだろう。ドイツ語は詳しくないがクラシック音楽を聞いて関連書籍を読んでいるといずれ触れる単語だろう。自分は吉田秀和の著作あたりで知ったのだろう。ムジィチーレンとは「音楽をする」という意味と理解していた。概ね正しいようだが「仲間と音楽演奏を愉しむ」というニュアンスもあるようだった。ミュージックのドイツ語はムジークだがそれに関連しているのだろう。

駅に直結した小ぶりのホールだった。かねてから地元の掲示板で気になっていた一枚のチラシを手にして妻と出かけた。このサイズならピアノ教室や民謡舞踊の発表会にも使えるだろう。程よい大きさで演台も近く親しみを感じる。

それは地元のシニアオーケストラによる無料の演奏会だった。よくある話でその手の演奏会のお客様は出演者の家族や友人が多い。席に座るとご近所さんらしい人たちの会話も聞こえてくる。メンバーが入場すると舞台から手を振るのだった。

自分がそれを見に行ったのは出演者に親類友人がいるわけでもない。純粋に演目に惹かれたのだ。それはモーツァルトハイドンだった。モーツァルトは序曲「劇場支配人」と「交響曲25番」、ハイドンは「交響曲104番ロンドン」、どれも聴き馴染んでいて予習の不要な音楽だった。

クラシック音楽には器楽曲もあれば室内楽もある。ヴィルトゥオーソによるピアノやバイオリンの演奏も、少ない楽器の響きが手に取れる室内楽もよいがやはりオーケストラ曲が最も好きだ。多くの楽器の合奏がうねりになる。そんな交響曲は作曲家にとっての集大成だと思う。自分が通う音楽会もオーケストラものが多い。

マチュアオーケストラを聞くのは初めてだった。聞き始めて直ぐに妻と顔を見合わせた。やはりオーケストラと言うのは難しいのだな、というのが正直な感想だった。個人の技量に加え合奏が加わる。まとまったアンサンブルは容易ではないのかもしれない。しかし僕は劇場支配人のイントロから10秒も聞かないうちに何故だろう涙が出てしまうのだった。モーツァルトの歌劇の序曲の全てを知るわけではないが、知る限りどれもがこれから始まる歌と劇世界に期待を持たすような魅力にあふれている。どれもが5分程度の短い曲だが序章と主題があり展開部がある。主題辺りでオーケストラのメンバーの動きを見たことが僕の涙を呼んだのだった。

久しぶりに着たであろう黒いドレスと礼服姿が似合っている。奏者の皆さんの誰もが懸命に演奏しているうえに何よりもとても楽しそうだったのだ。わかりやすく振る指揮者氏のもと、弦楽器の精いっぱいのボウイングも好ましかった。木管金管ティンパニ。まさにだれもが楽しんでいた。そこにあったのがまさに「ムジィチーレン」だと初めて理解したように思えた。プロのオーケストラは演奏が上手すぎて音楽演奏を楽しむというよりは大きな「芸術の塊」に思え、それは没頭を求める。楽しむというより対峙するというべきかもしれない。その点アマチュアの演奏は素朴で、喜びが手に取るように伝わったのだった。「皆が楽しそうでよかったね」と妻も同じことを感じたようだった。

自分が参加しているロック・ポップスのバンドのライブは終わってしまった。あれも痺れるほどに楽しかった。ムジィチーレンは音楽の種類を問わないだろう。友人にアマチュアのトランペット奏者が居る。市民吹奏楽団に所属されている。いつもながら見事なアンサンブルが嬉しい。オーケストラではないが吹奏楽団も楽しい。今度は年末の演奏会だろうか。ここでも同じ歓びに出会えると思うと楽しみだった。手帳のカレンダーに演奏会予定日のチェックを入れるのだった。ついでにハートマークのシールでも貼っておこう。

小規模なアマチュアオーケストラだった。メンバーはシニアと言う事で自分よりも年上ばかりだろう。年齢を問わず音楽を楽しめるのは素晴らしい。そうそう、ムジィチーレンだ。

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