日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

お疲れ様測定器

全くありがたくない測定機だった。余計なお世話とはこのことだと思った。ドラッグストアの片隅に置いてあるのだった。

脳腫瘍で倒れたとき救急車の中で隊員からこんな質問があったらしい。同乗した家族の話だった。今日は何月何日ですか?何曜日ですかと。どれも答えられなかった。水曜日と答えたらしい。実は金曜日だった。会社員は日にちは別として曜日は決して忘れないものです、と隊員は言われたという。この質問は搬送者の脳の具合・意識レベルを探るためには有効な質問なのだろう。救急医療では脈拍・呼吸・呼吸・体温などに加えて行われる。総じて「バイタル確認」と言われている。高齢者施設を兼ねる自分の職場でも聞き馴れた言葉だ。

腫瘍摘出手術が終わったあと言語聴覚療法士から同じ質問を頂いた。答えられるわけもなかった。では、あなたが居るこの場所は何県ですか?と来た。馬鹿にしないでほしいと思った。作業療法士は頭の体操なのかパズルの質問攻めだ。こちらは難しくなる。勘弁してほしいな、脳みそ取ったのだから出来るわけもない。イジメだと思うほどだった。療法士さんはどなたも美しい女性だったが意地悪でとても観音様には見えなかった。

毎日の日課だが少しづつ脳の機能が戻って来るようになると自分はこのトレーニングが有効だと理解した。いつか療法士さん達は菩薩様に見え、毎日彼女達が降臨するのが楽しみになった。美しく輝く光背すら見えたように思えた。きっと菩薩様に恋をしていたのだろう。今の僕が日常生活を送れているのは術後を支えてくれた普賢菩薩様と勢至菩薩様のおかげだと思う。

しかし現実生活に戻ると色々と思うことが多かった。物忘れだった。曜日はわかれど日にちとなると分からない。ものを何処においたのか分からなくなる。何を言おうとしていたのか忘れてしまう。幸いに自宅の場所は覚えている。家族や友の顔も覚えている。しかし初対面の方の名前はすぐに忘れる。そのくせ昔の事はひどく克明に覚えている。脳とは全く不思議な臓器だった。

ドラッグストアの測定器は画面に出てくる一から五十までの数字をどんどん押していくというものだった。二十五まで押せたら測定終了。その測定機には「脳年齢測定器」とあった。押すとその数字をは画面から消えていく。次の数字を予め見ておくと早く消せる。記憶力と迅速さだ。ニ回目は押すたびにランダムに数字の位置が変わる。いやらしい。二度トライしするのは時間差による脳の疲労度の確認だった。指がもたつくと遅れる。

記憶力、素早さ、疲労度。三つのパラメータはレーダーチャートになり出力された。「実年齢68歳」と出た。お疲れ様の様だった。クソ、コイツに俺の何がわかる?とリトライした。今度は50歳だった。十歳若い。嬉しかったが全く不愉快なヤツだなと腹が立つ。立腹するなら元気ではないか、と思ったら思い出した。職場での講義の内容だった。「認知症患者でも喜怒哀楽の感情は残ります」とテキストに書いてあったではないか。

このまま放おっておくとイライラして頭に良くないだろう。そこでこの稿についてはここでペンを置くことにしよう。お疲れ様測定器などもう使わない。不思議な臓器にはよろしく頼むぜ、と言っておく。

タッチパネルに出てくる数字を1から25まで押す。イライラするほど分からない。脳年齢68歳と出た。腹が立ってやる直すと50歳だった。何だ、若い。と安心したら「今日の脳年齢は・・・」と但し書きだった。明日はどうなるのか、わからない。

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