日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

飛燕の伝統、ここにあり

友人が言っていた。川崎重工業(株)に出張にいくとまずは同社のプレゼンから始まると。そこで必ず技術の歴史として紹介されるのが「飛燕」という。

飛燕。好い名前だ。ツバメは放っておいても飛ぶのだがそこに「飛」という漢字を加えるところに気概と期待がある。「ひえん」と呼ばせるのも良い。自分に男の子が生まれたら、飛燕という名前か、鍾馗、ないしは雷電と言う名前を付けたいという密かな願いもあったが、二人のお姫様に恵まれた。

川崎航空機により設計生産された日本陸軍三式戦闘機・飛燕は実用機としては日本のパイオニアだろう。液冷エンジンを搭載した初の本格的な戦闘機だった。当時の日本は星形空冷エンジン一辺倒で、液冷エンジンの技術は無かった。同盟国・ドイツのメッサーシュミットに搭載されたダイムラー・ベンツのエンジンをライセンス生産して戦闘機にまとめ上げた。心臓部と言えるエンジンに慣れない技術の採用とは川崎の技術陣は苦労したに違いない。

液冷エンジンは、直径が小さいので機体は流線形になり空気抵抗も減り高速化が期待できる。また、プロペラ軸にモーターカノン砲を備えることで重武装を実現できる。高速一撃離脱がコンセプトのメッサーシュミットBf109は、エンジンありきの機体だったのかもしれない。

さて日本陸軍の飛燕は、残念ながら本領発揮はあまりできなかった。調布基地に配備されB29を相手に帝都防空に努めたが、慣れぬ液冷エンジンはトラブルも多く稼働率は低かったという。後日飛燕はエンジンを馴れた空冷エンジンに換装し五式戦闘機として世に出直した。これはバランスの取れた信頼できる戦闘機だったと聞く。エンジン以外の川崎の設計の秀逸さなのだろう。

カワサキ。こう書けば自分の頭の中では、航空機から即座にバイクにスイッチが入れ替わる。あの飛燕を作った会社なのだ。そこがバイクを作っている。いつも一目を置いてきた。オフロードバイクが好きだった自分はKE250のライムグリーン塗装に痺れっぱなしだった。結局車格がやや大きいカワサキは諦めて、赤のホンダでオフ車デビューだった。

学生時代に友が乗っていた赤いカワサキ。DOHC4気筒・400㏄のZ400GPはまさに異次元の走りだった。当時の自分は商用バイク用エンジンSOHC2気筒・250CCエンジンを搭載したアメリカンバイクだったのだから違って当然だった。アクセル一捻りでエンジンは心地よく応答して矢のように加速した。体の殻は置いてけぼりで、中身だけがバイクと共に前にすっ飛んでいく、そんな気がした。

フルカウル・セミカウルのプラモデルの様なレーサバイクのブームもいつしか終わったのではないか。街にはむしろ、クラシックテイストを残すネイキッドバイクやストリートバイクが、そして旧車レストアが増えたように思う。スローに生きる、そんな価値観もモータースポーツにも定着してきたのだろうと思う。

今朝の散歩で、素敵な車体に出会った。近所なのに気づかなかった。通称カワサキZ1。900SUPER FOURだった。1970年代のカワサキだ。W650も素晴らしい車体だが、これには痺れた。

散歩は中断。じっくりと眺めてしまった。DOHCのカムシャフト受けが丸い、そこがお洒落だった。900㏄となるとストロークも長いのでエンジンの塔は高くなりまるで戦艦の艦橋を思わせた。それを囲むフィンは造形美の極みと言えた。キックペダルはまさに「これが踏める人しか乗れないよ」と言っている。900㏄の4気筒エンジンをキックで回す。信じられない。

見ているだけで、吸い込まれそうだ。一体どんな音がするのだろう。どんな地響きがするのだろう。排気煙の匂いはどんな具合だろう。気が遠くなった。薄らぐ意識の中で、浮かぶのだった。

「ああ、「飛燕」の伝統、ここに在り」。

何という美しさ。見ているだけで飽きない。妖しい輝きに吸い込まれそうだ。しかし、エンジンの振動を感じ、排気煙を嗅ぎたくなってくる。オーナーさんはしばらく待っても来てくれなかった。