幼い頃に見た絵本。そのイラストには余りにもインパクトがあり今もその1ページが忘れられない。
それは夜の街の天空を巨大な青白い珠が長い尾を引いて流れていく姿を書いたもので、人々は激突せぬかと恐怖に逃げ回っているのだった。「ハレー彗星に驚いて逃げるロンドン市民」、そう絵本には書かれていた。
夜空は怖いな。じっと見ていると彗星が飛んできて星も落ちてくるかもしれない。そんな事を子供心に思ったのだった。
星空がさほど怖くなくなったのは小学生高学年の頃。男子の変声期についてのレコードだったと思う。文部省唱歌「冬の星座」を変声期前後の男子がそれぞれ歌ったものを収録したレコードだった。声変わりの前後の違いを聞かせるレコードで、性教育の一種だったのかもしれない。変声期に感心するよりも、自分はその歌の綺麗なメロディと澄んだ歌声に惹かれた。
夜空は山の夜には欠かせない。夜露に濡れたテントから首を出し痛くなるほど空を見るのは常で、黒いシートに砂を無邪気にばら巻いたかのような星空と、その中をすっと動く流れ星、もう少しゆっくり動く人工衛星は見飽きない。しかし、じっと見ていると怖くなる。そう、どこかに原始的な怖しさがある。それが夜空だった。
「ねぇ、とても良く見えるよ、早く見ようよ」仕事帰りの妻は玄関を開けるなりそう言った。今宵442年ぶりの天体ショーがあることはニュースでは知っており、こちらは約束どおりに彼女と一緒に見ようと一眼レフに望遠レンズをつけ三脚に載せて待機していた。
ハレー彗星にロンドンの人々は逃げ惑ったが、自分は真っ赤な珠を妻と肩を並べてゆっくり見るのだった。もちろんもうそれほど星空は怖くなく、そんな機会をくれた夜空にはむしろ感謝したいほどだった。
そんなハレー彗星を見ることができるのは次は2061年ということだ。それを見ることは自分たちには叶わないだろう。しかし他にもなにか彗星や天体ショーがやってくるのではないか。
寒くなったね。そう言いながら家に帰る。妻とともに442年ぶりと言う稀有なる天体ショーを見ることができたのがひどく嬉しかった。
「次回も何かあればさ、一緒に見ような」、そう声には出さずに口ずさんだ。慌てて薄着で家を出たのだった。寒くなり家の扉を開け妻を先に入れると、そこにはいつもの日常が待っていた。
レンズ越しに見た天空の赤い珠は冷たい光だったが、どういう訳か心の中では暖かい。何故か、嬉しかった。
OLYMPUS Zuiko Digital 150mmF5.6 (300mm(35mm換算))
F5.6 0.56秒 ISO1600 露出△1.7 中央重点測光 トリミングのみ