日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

紙風船の男性

四人部屋でも常に入れ替わる病室のメンツ。ベッドのテーブルにうつ伏せていびきばかりかいていた斜め前の彼も、ある夜にスタッフの緊張感と共に処置室にベッドごと搬送された。彼が戻ることはもうなく、翌朝は他の方により私物は綺麗に片付けられた。

間を置かずに新しいベッドが搬入され、そこにやってきた痩せた男性は自分とそう変わらない年齢だった。

看護師による入院時のガイダンスに続き主治医がやってきた。入院前の諸検査の結果のフィードバックのようだった。狭い病室なので会話はよく聞こえる。

抗がん剤による治療説明の前に、医師はこう告げていた。

「まずは抗がん剤治療の前に、タバコ、即止めてください。レントゲン見るまでなく貴方の肺は「紙風船」です。肺の組織は普通はゴム毬のように弾性があるのです。貴方の肺は膨らむことも縮むこともできない。これでは毎日の生活が厳しいでしょう。重症のCOPDですね。」

随分とはっきり物を言う先生だった。「いやぁ煙草はまあ止められなくて」との男性の言葉を、更に否定するのだった。

抗がん剤と喫煙習慣に直接の関係はないのでは、と素人目には思えるがそうでもないらしい。「長年の喫煙によりあなたには糖尿病や慢性心疾患もあるのですよ、肺は紙風船、血管もぼろぼろですから。自覚してください。抗がん剤に耐える以前の話ですから」。そう言われるとさすがの彼もぐうの音も出ないようだった。

責め立てられるのを聞いているのも気の毒で、デイルームに避難した。

一昔前とも違い、今ではタバコに対する社会の認識も変わった。一時はタバコはクールというイメージもあったのだろう。テレビでのクドウ探偵も、オオシタとタカヤマ両刑事もかなりのチェーンスモーカーだった。

喘息持ちの自分はタバコに手を出したことはない。好奇心からか学生時代の友は皆タバコに手を出したが、これについては自分の病に感謝、となる。若い頃は友はほぼ全員喫煙者だったから何とも思わなかった。しかし自分が中年になってからは体質も変わったのか、たばこの煙、そして副流煙がたまらなく不快になってきた。なにせ匂いを嗅ぐと喘息の兆候が出るのだから、これはもう自分にとっては「公害」としか言いようがなかった。社会全体が煙草に寛容でなくなってきたのはこの頃からだと思う。

ニコチンの常習性はヘヴィなもののようだ。会議やプレゼンなどで極まると、喫煙者は喫煙コーナーで「自己解放」を試みる。それは、酸欠の鯉が狭い池から我れ先に頭を出すようにも思える光景だった。「お気の毒に」としか浮かばないのだ。

今ここで喫煙の是非を論じようとも思わない。有害と知りながら未だに煙草を販売する企業にも都合があるのだろうか。世の中の分煙嫌煙の流れ、健康を害するという事実を喫煙者は充分に理解したうえでの行為なのだから、世間はそれ以上彼らを追い詰めてはいけないだろう。家族や大切な友がそうであれば話は別だが。

ただこうして、血液の腫瘍に侵されて、ただでさえ不安なうえに、彼の心のよりどころであったであろう喫煙を全否定され問答無用で取り上げられた男性が、自らが蒔いた種とは言え、すこしばかり気の毒に思えただけだった。それほど彼のうなだれ具合は大きかった。

デイルームは自分で動くことのできる入院患者にはオアシスだった。給湯器も、冷たいドリンクの自販機もある。陰気臭くなりがちな病室には長居は無用だったから自分もここに空いた時間はやってきては友人に電話をするのだった。

紙風船の男性もよくここに来ていた。口にはさすがに煙草はないが、口さみしいのだろうか、禁煙パイポのようなものを加えていた。彼なりに努力をしているのだった。ある日の回診で、「煙草が欲しいとは思わなくなりました。ありがとうございます」と言っているのが聞えた。「本格的な癌の退治ですね」と医師が言われていた。

彼の症状は余り重篤でもないのか、違うカタチの病なのか、それからしばらくして退院して部屋を出て行かれた。

自分もやがて退院し、通院で放射線治療と仕上げの抗がん剤治療となった。どのタイミングか忘れたが、病院のロビーで彼にすれ違った。手には禁煙パイポを持っていたが、すこぶる元気そうに自分には見えた。

彼の肺は紙風船からすこしはゴム風船に近づいたのだろうか。通いの抗がん剤治療も予定通りなのだろうか。COPDでこの世を去った自分の叔父を思い出した。晩年の叔父はわずか数メートルを歩くのも辛そうだった。ヘビースモーカーだった叔父も又肺が紙風船だったのだ。いったん肺が紙風船になってしまえば、ゴム風船までは戻らないのだろう。

ただ目の前の男性は、入院した時の不安げな表情が消え、むしろ生きる喜びに溢れていた。自分の軽い会釈も、彼には気づかなかったようだ。短い期間ではあったが、異なる種の病ではあったのだろうが、同じ部屋で共に戦う仲間だった。彼はもう煙草には手を出さないだろう、いや、喫煙の持つ中毒性を知らない自分にはそれは分からないのだ。それを選ぶのも彼の人生。「紙風船の肺」という比喩は言い得て妙だと思う。口で吹いて吹き上げた紙を貼り合わせた風船は辛うじて膨らんでいるだけでパリパリと押したら戻らない。弾性はないのだから、叔父の例を見るまでもなかった。

会計に呼ばれて席を立つ彼を見送った。「お互いここまで来れてよかったな」という思いがあった。

自分の会計も、この次だろう。

確かに紙風船の肺は、想像するだけで辛そうです。膨らみも縮みもしないのですから。