日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

脳腫瘍・悪性リンパ腫治療記(24)「血液内科にて化学療法(7)」クール3 尿意との戦い

第3クールは奇数クール。抗ガン剤としてはプロカルバジンの錠剤が第2クールから増えるだけで、他は特に変更もない。これ迄のクールを通じて抗ガン剤による吐き気や抜け毛といったステレオタイプな副作用はなかった。ありがたい話だ。

初日のリツキシマブは事前の抗アレルギー剤が例によってキツイが、あとは淡々と過ごした。点滴が終わると、いよいよ明日からのメソトレキセートの大量投与にむけた導尿管の挿入となる。もう慣れたもので、まな板の上のコイだった。今度は若い医師。そして馴染みの看護師さん。下半身をさらし、お尻の下にシートが敷かれた。管を見ると嫌になるので大人しく上を向いている。挿入されたが途中で止まってしまった。痛いな。何度も突破を試みるがダメで、結局ワンサイズ小さな管となった。しかしこれも又途中で止まってしまったがなんとか挿管は成功した。

みるみる導尿管から尿が排泄されパックにたまっていく。しかし今回はどうもさっきの引っかかったところに重たい疝痛があった。前立腺の上あたりだろう。翌日あさイチからメソトレキセートの点滴が始まる。終わり次第、メイロンとゾルデムの点滴が3日間続き、腎臓のダメージを回避する。しかしそれ以前に昨日からの違和感が大きく耐えられそうになかった。主治医と話し、まずは導尿管を抜いてもらう。昨日の狭くなったところが炎症を起こしているのではないか、そんなことでもう導尿管を諦めて、3日間を導尿管なしで過ごす事とした。

一日中ひっきりなしに点滴をするのだから排出される尿の量も半端なかった。夜中は2時間おきに尿意で起きざるを得ない。粗相に備えて紙おむつはずっと履いている。しかも尿中成分を計測するために、尿はカップに200CC程度は必ず都度都度取らなくてはいけない。尿をカップにとるのも簡単なようで辛かった。点滴のせいか、通常の尿よりもはるかに臭く、かがむだけでも嫌になってきた。もっともこれを毎回成分測定する方もいらっしゃるわけで、何の文句も言えないのだ。火曜日朝から金曜夜まで、ひたすら尿意に耐え、尿の匂いに耐える日々だった。

週が明けると、どうゆうわけか寒気がしてきた。発熱も40度近くあった。コロナ真っ盛りの中での発熱。まず個室に隔離された。検査の結果コロナではないという。しかし決まりで4日間ほどこの個室に軟禁状態となった。テレビも冷蔵庫も完備された部屋は軟禁と言うには贅沢なものだが、自由に外に出られないのはきつかった。デイルームで外の風景を見るという楽しみは叶わなかったのだ。右腕、左腕からそれぞれ採血して調べた結果、カテーテル(PICC)を二の腕から挿入している右腕から採った血液の値が正常値を越えているという。カテーテルはもう一か月以上右腕から心臓の手前までずっと体内に挿入されており皮膚からチューブが出ている。注意はしても、定期的な挿入口の消毒はしているも、そこからの何らかの感染があったのだろうという判断だった。

カテーテルを抜いて熱も下がった。抜いたチューブをしげしげと眺める。こんなのが体の中に長きにわたり入っていたのか。確かにこいつが薬剤を脳に届けてくれた。感謝しかない

四日目に、4人部屋の「我が家」に戻る。相部屋のメンツのうち2名はこの4日間の間に入れ替わっていた。二人は何処に行ったのか?それは自分の知る必要もなく、知れば知ったで、嬉しいかもしれないし、気が滅入るかもしれない。向かいの方は、確か自分が発熱した頃「そろそろ退院を考えましょう」などというドクターの話が漏れ聞こえていたが、退院するでもなく、むしろ少し苦しそうだった。そんな彼に「おかえりなさい」と言われる。たしかにそうだった。

病院はいつもの日常の中だった。

この頃から、両手の指先に違和感を覚えるようになった。初めは病室に入る際のアルコール消毒にかぶれたのか、と思ったが、主治医に話すとそうではなかった。毎クール投与されるビンクリシチン(オンコビン)による副作用、末梢神経障害だということだった。人により治癒するし、しびれが残る方もいるという。「あぁ、ベースギターが弾けけなくなったらどうしようかな。ベーシスト廃業か。まぁ下手くそだから構わないな、いや、そうではないだろう、手の皮が剥けてでも弾いてみせる。と言い聞かせる。

導尿管挿入できず、尿意に耐えた四日間、カテーテルからの感染発熱、個室。初めて感じた抗がん剤の副作用。色々あった第三クールだった。

右の二の腕から抜いた心臓まで至る体内残置カテーテル(PICC)。この挿入口から感染したのかもしれないが、確かにこいつが薬剤を脳に届けてくれた。感謝しかない。