日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

馴染の木

犬の散歩で歩いていた。パチリパチリと音がしたので見上げると通りに面した10mくらいの高さの木の半ばで庭師さんが枝打ちを行っていた。音とともに枝は落ちて、道路の向こう、敷地内にそれが散らばっていた。見上げていると庭師さんはこちらに気づき会釈をしてくれた。逆光で良く見えないが、職人さんにありがちな気難しい雰囲気はなくきさくで話好きそうな方だった。

命綱は付けていないですよ。でも毎年登っている木だから枝の硬さとかよくわかるのです。

そんな話だった。なるほど、馴染みの木なのか。確かに彼は幹の瘤や太い枝を利用してうまく体を預けていた。そもそも植木職人さんに太った人は見たことが無い。彼もまた身軽で、それが木に登ることを容易にさせているのだった。パチリパチリとは剪定鋏の音だった。よほど良く刃が手入れされているのだろう、職人さんの一握りで数センチの枝は切断される。歯が立たない時は刃渡り15センチ程度の小さな鋸を腰から出していた。

テレビの通販番組でやっているような充電式ハンディチェンソーは使わないんですか?

ハンディは重さが1キロ近くありこちらのほうが小回りが利く、そんな理由で使っていないという。そうは言わなかったが、あれはアマチュアの道具です、とでも言いたそうだった。昨年もその前も、数年かけて主だった枝を落としてきたので今切っているのはそこから出てきたものや、細いものばかりなんですよ。そう彼は言った。

木の名前はシラカシと言われた。カシと言えば木刀が頭に浮かんだ。小学生の頃の日光の修学旅行で東照宮と焼印を押された木刀を買ってきたことを思い出した。あれは硬かった。やはり固い木ですよ、だからこうして登っていられます、という答えだった。あとで調べるとシラカシは樫であり、ブナ科コナラ属ということだが落葉しない常緑広葉樹だった。庭木や街路樹に向いている、そう書かれていた。

隣の木は一昨年と昨年で手入れしてかなり落としたんですよ。上の方が腐ってましたからね。そう彼は続けた。確かにあの木、小さくねった、と妻が言う。自分はあまり気が付かなかった。切られた枝には太いものもありそこから新しいものは再生するのだろうか。数年かけるて伸びるのか。山の中を歩いていると枝打ちされた広葉樹は見たことが無い。しかし庭木であればそうもいかないのだろう。一方、木は木で気の毒かもしれない。本当は伸びやかに育ちたいのだろうが庭に埋められ、伸びすぎたら枝打ちされるのだからたまったものでもないだろう。剪定された木は余り見た目も良くない。何時元の形に戻るのかな、などと考えた。しかしこれまでの間、庭木として住人に安らぎを与えてきたのだろう。彼はしっかりと働いてきた。形はいびつになれどもこれからもそうだろう。

パチリパチリの音は続いていた。余りの見事な仕事ぶりに、自分は犬の散歩も忘れて見上げていた。妻に促されて散歩を続けた。「本当はいけないんだけとなぁ」と彼がひとりごとを言っているのが聞えた。きっと安全帯でセルフビレイを取っていないことがいけないんだろうな、と想像した。安全帯を一回りさせカチリと留めれば済む話だろう。しかし大丈夫だと思った。彼と馴染みの木の間には信頼関係があるだろうから。

木と馴染みとは、良い話だと思った。

木としてはやはり自由奔放に伸びたいのだろう。庭木にされたら嬉しいのか気持ちは分からない。ただ庭の持ち主はそんな木々に癒される。それだけは確かな話だ。



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