日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

回らぬ寿司

寿司とは自分にとり父親が時折持ち帰る経木の箱に入ったものだった。電力会社を相手に営業職をやっていた彼は接待や宴席の残り物を良く包んでもらっていたのだろう。しかしそれは握りだったのか巻き物だったのかも覚えていない。余り美味しいとは思えなかった。

さすがに成人すると寿司の味を知る。学生時代にアパート隣室の友と共に寿司屋に行った。その頃ようやく回転寿司が広まったのだろう。

空手をやる彼はタンパク質信奉者で脇目も振らずに赤身を中心に十八皿食べた。自分は十六皿。中身は覚えてはいない。レーンの上を廻る寿司が楽しかった。

恥を忍んで書くがあれ以来自分は日本では「回らない寿司屋」に行ったことがない。回らぬ寿司屋には価格表がなく、お任せとでも言おうものならとんでもない請求書が来る、そう信じていた。会社の接待では行ったが、お客様よりは食べぬようにと気を使うのみだった。唯一築地の値段がわかる寿司屋で、妻と海鮮ちらしを何度か食べた。ランチタイムは安いのだ。

海外駐在では本社からやってくる幹部対応のために日本人がやっている寿司屋を知っておく必要があった。何箇所か使う店があった。それは駐在員の間で代々引き継がれていた。しかしこれも会計を気にする必要はなかった。

家族で行くときはやはり回る店ばかり。娘たちも当時はエビマヨや炙り牛などの変わり種ばかり頼むのだった。しかしつまらぬ悪ふざけが話題となったこともあり今はどこも作り置きを回さなくなった。オーダー制になった。フードロスもなくなりそれも良いと思う。

横浜を離れることが本決まりとなり、ならばと回らぬ寿司屋に行こうと思い立った。よく行く銭湯の近くある地元の人で賑わう寿司屋が気になっていた。覗いた窓からはいつも宴席が賑わっていた。

銭湯帰りに意を決して入ってみた。暖簾を払うのは重かった。ガラス戸を開けた。一歩踏み出した。妻とともに僕はとうとうルビコン川を渡った事になる。白木のカウンターに通された。マスター、いや大将は白い手ぬぐいで包丁を拭き白身を切っていた。

心配したがお金はおろしてきた。するとそこにはきちんと価格表があった。安堵の気持ちが二人の顔に出た。

寿司屋の大将とは大変だと思う。寡黙な職人でも通じるのかもしれぬが、その店はやってくるお客様をしっかり覚えていた。いらっしゃい、あ、こりゃ久しぶり。ひと月前以来ですね、と気軽に声をかける。そして続ける。今日はカンパチの良いのが入りましたよ、と。破顔一笑だった。

映画「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」では浅丘ルリ子が演ずるマドンナ・リリーはお約束通り寅さんと行き違い、話のオチではマドンナは毒蝮三太夫演ずる寿司職人と結婚する。彼は人が良く腕が立つ寿司職人という役回りだろう。そんな彼の笑顔がなんと眼の前の大将に相通じていた。

初めての自分たちにも温かい目で何を握りますか?、と聞かれる。こちらは胸がドキドキで松竹梅のセット物、それも、竹とした。ニコリと笑いハイよ、と答えられた。なんの心配もなかったのだ。

清潔なまな板、重ね上げられた松花堂の箱とお皿がすべてを物語っていた。天麩羅、そして、貝好きな自分はツブ貝をも頼んだ。どれも美味しかった。何より大将の仕事ぶりが目の前にある。無駄のない所作は美しいとも言えた。職人の技に弱い自分はただただ見ていた。いつか、彼の握りも皿から消えていた。

心配することなかったね、と、話しながら暖簾をくぐった。また来てくださいねと大将は言われた。

自分の中の垣根は一つなくなった。そんな年齢でも無くしたい垣根はまだまだあるのだ。一つづつなくしていけばよいだけのことだった。

日本で経験する初めての回らぬ寿司屋。しかし値段表もあった。腕の立つ大将の握りはとても美味かった。よく考えれば寿司は江戸時代は庶民の食べ物だったのだから。あの緊張の鼓動はなんだったのだろう。