日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

予算達成

いつも予算達成だな。なんとも羨ましい・・。

決められた計画。達成したことはあっただろうか?ここで言う計画とは夏休みに何をするか、と言った小学生の立てる目標ではない。仕事の話だ。

仕事には多くの計画がある。事業計画と呼ばれる。会社はその計画で動いていた。例えば売上。既存の顧客だけなら伸びしろはない。では新規顧客をいかに開拓するか。例えば損益。売上から原価を減じたものを粗利と呼ぶ。大雑把な損益と言える。それが製造業ならば原価低減は重要になる。その為には原材料購入費に目を光らせ、品質や製造歩留まりの改善をしなくてはいけない。また何よりも魅力ある商品であること。市場ニーズを先取りして他にない何かを持てば売れるだろう。しかし誰にどんな層に売るのかをきちんと定めないとピントがずれる。営業も製造も品質管理も企画も、それぞれがデジタルな目標を持つ。すべてうまく回ると餅は絵に書いたものではなくなる。

事業計画を半期毎に展開したものが予算だった。残念ながら自分はそんな予算を達成したことはない。事業計画に無理があると言いたいが、そんな計画を作るのもまた自分達なのだからあまり文句も言えない。実態とすればそんな計画もそのままではトップから認められずに多くの場合かなり無理のあるストレッチゴールになっていた。必ず右肩上がりが求められるのだった。仕方なくなんの充てもない数字を予算に積む。利益の捻出は難しく更なる売上増加に舵を切る。余計な利益が出ぬよう粗利率ゼロで積む。ここまでくればそれは数字の遊びだった。自分が勤務していた会社ではそれを白地(しらじ)と呼び、外国人幹部はそれをホワイトスペースと自嘲気味に呼んでいた。あるいはチャレンジとも呼ばれた。いずれも西洋人には理解できぬ考え方だが日系の会社だからしかたないと割り切っていたのだろう。かといってそれを達成できないから白旗、というわけにもいかない。多くの場合それはなんらかの歪を産んだ。行き過ぎると隠蔽や粉飾といった言葉につながるのだろう。

近場のサイクリングの帰路、とあるラーメン屋に入った。住宅地の中のわかりにくい場所にある。いつも長い行列で入ることを躊躇ってしまう。しかし中途半端な時間帯だったのだろう、数人の行列に並んでみた。自分の後にもまた一人並んだ。すると店員氏が出て来て暖簾をおろした。自分と彼が最後の客だった。昼前から十五時迄の営業時間。それで今日は終わり。予定の時間にきちんと材料も終わった。つまり彼らは今日の目標を達成したのだった。空になった麺の木箱が片付けられ始めていた。

店内はカウンターに椅子が七、八脚のみ。厨房では若い男性二人で息のあった作業をしていた。出てきたラーメンは主のこだわりも感じられる、しっかり作られた逸品と言えた。誰もが満足顔で店を出ていくのだった。毎日目標達成とはかつて予算達成に追われていた身としては羨ましい世界だった。しかしラーメン屋はそこら中にある。その中で行列が出来る店はどれほどかと思えば並大抵ではない苦労があっただろうと想像できる。独りよがりではない自分の味を作る。それが出来たとして日々維持することは難しい。味が落ちれば客は離れていくのだから。

自分は職人さんに惹かれる。どのラーメン屋の主も一流の手技を持っている。湯をしっかりきり流し込むように器に移す所作は見ていると茶道家のようにも思える。彼の満足は残し物のない器とお客様の笑顔に違いない。つまりそこにはホワイトスペースもチャレンジも存在していない。ただやりたいことを無理のない範囲で行って、信頼と満足を積み上げていくだけのように思えた。しかしそこに至るまでの努力と自己研鑽はサラリーマンとはまた違う苦しさがあったのだろう。

大概の場合そんな店には地元の金融機関が目を付けて、もう少し事業拡大しませんか、融資しますから。とくるのではないかと想像する。実直第一、どうぞ出来る範囲でまずは小さくとも予算達成してほしい、とただ思うだけだった。

主人のこだわりを感じさせる丁寧な一杯だった。結果毎日が予算達成なのだろう。