日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ダイバート

眠くて仕方なかった。12時間のフライト、そして15時間時計がずれたのだから仕方なかった。米国の入国審査は何処も時間がかかるがシカゴ・オヘア空港は特に長い。長蛇の列をクリアし「ビジネス?カンコウ?シモン」とガムを噛みながらしゃべる審査官にスタンプを押してもらい入国すると、無人列車に乗り国内線ターミナルに移動する。太平洋戦争での米海軍トップエース、エドワード・オヘア中佐の名前を冠した空港のロビーには彼の乗機が展示されている。ネイビーグレーのグラマンF4Fワイルドキャットだ。日本海ゼロ戦の好敵手だったF4Fは太平洋戦争初期から中期の機体だが、頑強でずんぐりした機体に直線の主翼。膨らんだ無様なマグロを思わせる。が安全性・攻撃力は高い。無骨な機体は大量生産に向いている。防弾設備を排し軽量化による近接格闘性能のみを追求した日本海軍機との設計思想の違いをまざまざと感じた。こんな頑丈そうな機体に乗った米軍パイロットはさぞや安心だったろうと思う。

オヘアはユナイテッド航空ハブ空港でここから全米各地へ乗り換え便が飛ぶ。数時間待って小さな飛行機に乗る。ある時はネブラスカオマハ、ある時はニューハンプシャーマンチェスター、又ある時はニューヨークのロチェスター、そしてある時はケンタッキーのレキシントンへ。接続する飛行機は小型機で時にプロペラ機の事もあった。ターミナルで待つ間はうたた寝しかない。しかし乗り遅れるわけにはいかず、キャラメルポップコーンとシナモンロールの匂いがいつも漂うゲート前で無理して起きていた。

一列四名の狭い機体に乗り込むとあとは寝るだけだった。フライトは1時間程度だろう。目が覚めた。少し揺れたのだった。夜景だがそこは見慣れたレキシントンの街ではないように思えた。一名のキャビンアテンダントが何度も客室を見て回っている。笑顔を絶やしていないが彼女の顔には緊張があった。小さな窓の外にはずらりと消防車がスタンバイしていた。何事だろう・・。

「機体トラブルの為、当機はランウェイの長いシンシナティダイバートしました。間もなく着陸態勢に入ります。」そう聞こえた。たしかにレキシントンは小さな飛行場だった。この小さな機体がそこで停止しきれないとしたら何のトラブルだろう。考えても仕方なかった。ガクンというショックと共にタッチダウンした。消防車も駆け寄ってきた。しかし何もなかった。

ダイバート・目的地変更したのか。ホッとしてターミナルに入った。ここはオハイオ州。目指すケンタッキー州の北。時刻は夜九時。きっとここでエアラインがホテルを提供してくれるだろう。そう思っていたら小さなバスが来た。これに乗れと言う。行先はレキシントンだった。エアラインとしてはチケットがレキシントン行きなので愚直にそこまで載せきろうという事だろう。約80マイルか。勘弁してほしかった。泥のように眠りようやくレキシントン空港だった。朦朧としながらレンタカーを運転しホテルに着いた。

ボストンからニューヨークにはエアコミューターと呼ばれる便が三十分おきに飛んでいる。ボストンを離陸してマンハッタンの摩天楼を見てラガーディア空港へ降りようとした機は急旋回してボストンに戻った。窓から見えるハドソン川がぐるりと回って視界から消えた。ラガーディア空港が凍結して着陸できないというのだった。JFK空港へもニューアーク空港へのダイバートもあったはずだが、結局その日はボストンで一夜を過ごした。

イタリアはミラノ。マルペンサ空港でドイツに戻る飛行機に乗った。フルスロットルで走り出したと思ったら急に逆噴射をしてランウェイの端でようやく止まった。陽気なイタリア人達もこれにはたまげたようで大騒ぎだった。代わりの機体はなかなか来なかった。

家族は自分より一年早く欧州駐在から日本へ帰国した。帰国便は成田行きだったがその日に成田で貨物機が着陸失敗して裏返しになり爆発炎上、乗員2名が亡くなった。その影響で家族の乗った飛行機は羽田にダイバートした。そのニュースを離れた地で聞いた時、まずは家族の無事を確認し安心した。

今年の正月に起きた羽田空港の事故は痛ましいものだった。過密な羽田。ヒューマンエラーにせよ何が原因かは目下分からないようだ。羽田が閉鎖されると着陸予定機は成田にダイバートするだろう。今回は茨城空港へのダイバートもあったようだ。想定外の来客に茨城空港は急遽集められるだけのバスと運転手を確保して乗客を漏らさず鉄道駅に誘導したという。流石日本のオペレーションだと思った。

様々な想定外の出来事が起きる。幸いに自分の乗ってきた飛行機はすべてパイロットの見事な判断で何事もなかった。しかしそれは何も航空機ばかりでない。生きるという日々の積み重ねの中でも起こりえる。メンタルを病む。ガンになる。しかし大丈夫、自分達はシカゴオヘア空港で見たあのグラマンの様な頑丈な社会の中で生きている。多くのパイロットの様に瞬時の判断ですり抜けるはずだ。その結果目的地が変わってもいいではないか。そもそも目的地もないのだから。

シカゴオヘア空港にはオヘア中佐の乗機グラマンF4Fが展示されている。空港でいつも見とれていた。太平洋戦争初期の米海軍の代表的戦闘機だがライバルの日本海軍機ゼロ戦とは設計思想が異なり頑丈で防御性も高かった。しかし幾つも被弾し太平洋に落ち、あるいは沈められた母艦とは異なる空母に、あるいは異なる地上基地に降りただろう。ダイバートは航空機にはつきものかもしれない。幸い自分の乗った飛行機には何も起きなかっただけのことだろう。しかし自分の人生には様々なダイバートがあった。これからもあるだろう。

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