日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

諦めるか、どうするか

20 2 120 120。

1と2、0が並ぶ数字だがこれはなんだろう。暗号でも呪文でもない。

この大きな部屋に来るのは久しぶりだった。大丈夫かな、と思うのだ。

ここしばらくあまり体に力が入らない。むしろだるいというべきだった。もう11月というのに日中の寒暖差が半端ない。昼はTシャツ半パンなのに夜は薄手のフリースも羽織る。若ければこんな事では怯まないが、今は残念ながらボディブローのように効いてくる。体がだるくてすぐに横になってしまう。昼寝付きだ。

部屋には無機質な多くの器具が光っている。無愛想な道具だがそこに人がすわると生気をおびてくる。僕も座ってみる。バーを握り動かすがひどく重い。ウエイトを減らした。ようやく動いた。

そこは市営のジムだった。ここ暫くご無沙汰していたのは野暮用が多く心も体も心も放電気味だったからだ。

ずっと家にいる。自由時間が多いので書きかけの文章も容易にまとまるように思えるが、むしろ酸欠になったように行き詰まる。ネタも無くなってくる。そこで無心に体を動かす。すると頭の中も整理されアイデアが浮かぶ。散歩もよいが、運動としては軽すぎる。運動は生理が要求する。怠けていてもその気が湧いてくる。さてと、心と体に活を入れてジムへ来た。

各種の筋トレマシンは暫くサボるうちにいつものウエイトでは辛かった。コースは筋トレの後に有酸素運動だった。ランニングマシンかアークトレイナーを使う。いずれも全身を使うので効率よく汗が出る。公営ジムならばなぜかそれらは20分で停止するようにセットされている。強い負荷をかけるのも自由なので安全性を考えているのだろう。

これらの利用でいつしかターゲットが出来ていた。これら有酸素運動マシンには表示が出る。所要時間、距離、消費カロリーなどだった。

20分運動、2キロ走行、120キロカロリー消費、脈拍120。略して 20 2 120 120。これがここ一年で掲げているマシン表示数値の目標だった。数年前は20分で3キロ走行を目指していた。病から戻ったらそれは遠い目標になっていた。

今日はランニングマシンとした。いざ始めると目標値はなかなか遠く思えた。膝痛を避けるべく速歩を主体とした。それでも時速6キロだった,。ここから速くすると走らないと足がもつれる。我が体ながらひどくポンコツだと思う。

すぐに思った。ああ、今日は諦めよう。あの目標値を下げようと。これまでに拘る必要もない。新しいこれからの目標を作ろうと。すでに筋トレマシンもウエイトを落としていた。有酸素運動の目標もさげる。

ランニングマシンは速歩に加えて傾斜を加えてみた。すると消費カロリー加算は早まり脈拍も高まる。自分の平常時の脈拍は65-75程度だがそれが120を超えると体の血が入れ替わる感覚がしてくる。それが心地良い。少しハイペースを続けていると従来の目標値達成が見えてきた。貪欲なものでそれに向けて気合を入れてしまった。

流れる汗の中、ひと頑張りで目標値。なんとか達成した。やれば出来る。

あともう少しと言う気持ちが大切かもしれなかった。目標はいつでも下げられる。必ず計画達成するという気持ちは大切だろうが度が過ぎたらどうなるか。予算必達のために不正会計、水増し請求。組織風土崩壊。社会的制裁。何処かで聴いた話だが高いツケが回ってくるだろう。体とて例外でもあるまい。

明るく正直に無理せずでいこう、小さく始めよう。これが病後の自分のモットーだった。しかしそこに少しだけ無理しよう、と付け加えた。企業ならば理念なりモットーは変えないものだがこちらは個人だ。都合よく書き換えてしまうのだった。

20 2 120 120はなんとか達成できたが下方修正ありのなんとも気楽な目標値だった。 

無機質なマシンが並ぶ。しかし人がそれを動かすとマシンは生き物のように動くのだった。どう動かすかは個人に委ねられている。

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