日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

筆は揃えど

クレジットカードのポイントをマメに貯めていたのには訳があった。ちょっとした「大物」を買おうとしていた。二年間以上時間をかけ値動きを見ていた。しかしこれは株でも投資信託でもないので値の上下に一喜一憂しても仕方が無かった。「納得のできる上玉」が出るか出ないかだった。

デジタル一眼レフのレンズだった。中古の出玉を探していた。あ、あった。カメラメーカーのレンズではなくレンズ専業メーカの物だった。35㎜フィルムカメラの時代から技術を磨いてきたメーカーだった。

ここはプロの意見を聞こう。友人に頻繁に作品展に出展されている方がいる。光を写し込み構図を切り取る名人だった。写真を生業にはしていないでセミプロと呼ぶべきだろうか。彼の家に行くたびに撮影システムは変わっている。最近目にした彼のレンズはその専業メーカーの物だった。これはいいよ、と言われるのだった。

ニコンニッコール
オリンパスはズイコー
ミノルタロッコール

と、カメラメーカーのレンズにはブランドがついていた。プロはニコン、そんな刷り込みがあり自分もフィルムカメラニコンで始めた。しかしデジタル時代になり小型のセンサーサイズを提唱したオリンパス陣営に乗りかえた。35mmの頃からオリンパスは小型軽量がコンセプトだった。

結局友人の「これは良いよ」の一言もありポイントを活用し専業メーカーのレンズを買った。これで今のデジタル一眼レフ一台に対して、レンズは五本目となった。こんなに必要なのだろうか。どうも自分にはコレクターの一面があるのだった。ろくに弾けないのにこれ迄一体何本のベースギターを所有したのか、あまり考えたくもないのだった。ベースギターの時も、このジャンルにはこの一本と所有するための理由づけをした。最終的にはすべてを使う訳もなく、ギターに申し訳なくなり買取りに出してしまった。江戸時代までは「お妾」さんは甲斐性と言われ多くを養っていたと聞く。余程マメでない限り全員に情けを注ぐなどとてもできないだろう、と自分の例をもってそんな時代を想像する。一夫多妻は憧れるが無理だ。

愛機のレンズは山歩きのための軽いズームレンズと街歩きのための開放値の明るいズームレンズの二本だった。画角は概ね28から80ミリ前後で、十分足りていた。が、撮影旅行用に広角から望遠迄一本で済ませたいな、と思ってしまった。28-300ミリがカバーされると良いな。

新しいレンズはタムロン製だった。レンズ専業メーカーはシグマ、トキナーコシナと使ったがタムロンは初めてだった。友人が良いというのだから尊重した。こうして筆は揃った。しかし筆はあれば良いという話ではない。問題は「何を表現したいのか」だ。カメラマンは皆それを持っている。それがあれば機材などどれでも構わないはずだ。絞りとシャッター速度を考え露出をいじって光を自分のものにする。それはやはり技術論だった。自分にはその知識はあれど命題がない。写真を撮る目的が無い。機材だけ揃えてもこれでは気に入った写真など絶対に撮れない。

悩みの種を増やしてしまった。筆は揃った。心に響かない一枚ばかり撮るだろう。しかしこの一本で違う気づきを得るかもしれない。撮影旅行用という位置づけで買ったのだ。一体どこに行くのだろう・・。

人生の楽しみは自分で見つけていくものだが、初めに今回のように外堀を埋めてしまい、そこに自分を追い込む手法もあるだろう。今回はレンズに「一本取られた!」と言う事にしておこう。

これだけ筆もそろったのだから何でも表現できる「筈」だ。さてどうなのだろう。

どのレンズも特徴を生かして使っていきたいところ。しかし自分は「何を表現したい」のだろう?テーマもない、腕も良くない。無駄な筆にならぬよう感性を磨きたい。

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