パンドラの箱を開ける、そんな言葉は現役の会社員の頃使っていた。長く手付かずだったファイル類に着手するときに言っていたのだろう。ああ、この案件やるか。パンドラの箱を開けるか。そんな使い方だった。パンドラの箱はあけてびっくり。災いもくれる。余りポジティブではないかもしれない。
物心ついたころからカメラが好きだった。コニカC35という35㎜フィルムカメラが最初の愛機だった。父親のおさがりだった。父は写真を撮る時に両脇を広げてシャッターを押すような人物だったが、その頃売りに出たミノルタのオートマチックを新調し使い古しが回ってきた。巻き上げレバーを回してシャッターを押すだけで楽しかった。それは手のひらに乗るメカの宇宙だった。写真が好きと言うよりも、カメラと言うメカが好きだったのだろう。
学生時代から今日にいたるまで、一体何台のカメラを手にしたのだろう。憧れの一眼レフは社会人になりようやく中古を手にした。子供が生まれて数年後からかデジタルとなった。ウィンドウズ95の頃だった。
下手の横好きとはこのことで、大した写真も取れないのにパチリパチリ。記念写真の類ばかりだった。もちろん絞りとシャッター速度、露出補正、レンズ画角による性格の違い、などの仕組みは分かったのだが決して有効に使えなかったのは単にセンスが無いからだった。
今の住居に引っ越してきてから、はて古い写真は何処に行ったのだろう、と思う事が多々あった。額に入れて飾ってあった結婚前の妻を撮った写真や生まれたての娘の写真など。デジタル時代の写真はすべてバックアップと共にPCに置いてある。アナログの写真が無くなっていた。
断捨離ではないが本棚を整理していた。奥から箱が出てきた。開けると、探しものが出てきた。
見始めたらきりが無かった。枚数が多い。つまらない構図ばかりだが記念写真と考えるとこんなもんだろう。見るだけで数時間経ってしまった。学生時代には次のおさがりとなったミノルタで撮っていたのだろう。当時の写真も多かった。友と他愛もなく馬鹿げた写真をよくぞこれまで撮ったものだと笑ってしまった。現像技士も下らないな、と思った事だろう。社会人からの写真は一眼レフで、少しは凝った写真も多かった。結婚前の妻を写したショットに会心作が多いのはやはりそれだけ被写体に対して熱心だったのだと思う。絞り開放で撮った写真が多かった。カメラ好きならその意図もわかるわけだ。子供が生まれてからはオートにして凡庸な写真が多くなった。
デジタルの時代になってからのPCのフォルダに時系列に入れてある写真ならモニターを流し見するだけだが、アナログ写真となると手に負えない。
しかしデジタルでもアナログでも、二度目はあっても三度、四度と写真を見返すこともあまりない。印画紙の写真は色あせてしまい、数枚が引っ付いて離れないこともある。
そうして記憶から消えた古い写真との再会はパンドラの箱を開けたようなものだ。特にアナログなら整理が大変だ。パンドラの箱を開けるとはネガティブな意味とするならば、その通りだ。見るという膨大な作業が待っている。更に当時と今の時の流れを思うならば、この写真はどうすべきかなと悩んでしまうかもしれない。その時代が懐かしいと思うのは写真を撮った本人だけかもしれない。被写体はもしかしたら、今更なんだよ、とでも思うかもしれない。共有するか、そっと自分の胸に置いておくか。そんな人間関係のことまで考え出す始末だから、やはりこれはパンドラの箱なのだろう。
さて、箱を開けてしまった。まずは単純に、これらをスキャナで読み込んでデジタル化するか。少なくとも物理的なスペースは無くなるのだから。しかしそれも気が遠くなる作業だ。業者に出すか。安くはない。この写真をありがたる人はいるのだろうか。…全く厄介な箱を開けたものだ、と恨めしく、そして少しだけ嬉しく思っている。