日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

プチ贅沢

何時からだろう、贅沢をしなくなったのは。

現役の頃は金遣いは荒くなかったが天引きで積み立てる財形貯蓄や年金保険などの資産作りを除いてはなんとなくお金を使っていたのだろう。贅沢な家庭ではなかったが、自分は趣味には金遣いが荒く湯水のごとく使ってきた。山道具、スキー、自転車、楽器、カメラ。体一つに一体幾つの装備?そう妻は時々非難する。加えそれらを使っての活動費。無駄遣いと言われても仕方なかった。それ以外の出費はなかった。幸いにしてファッションなどは無関心の極みでもあった。現役の頃はスーツで済み助かっていた。

会社を早期退職し退職金と割増金を貰ってからは、非常勤職員の給与はあれど非課税世帯になった。住民税も所得税も払えませんと白旗を上げたのだ。国民年金もまた年金事務所で受取額の違いを確認の上自発的に支払いをやめた。

そんな生活なので毎月家計は赤字だ。会社で言えば剰余金の取崩しばかりだ。目下減損を計上しなくて済まないのがありがたい。ただでさえ自分の通院費用はボディブロウのように効いてくる。最近は愛犬の通院費用も都度万円オーダーで消えていく。

いつしか夫婦して、無駄な出費を抑えようという思考が支配するようになったのはまあ幸いなのだろう。家計の見直しは早期退職前に済んでいた。保険の見直しをした。投資信託はリスクを回避してミニマムにした。現金主義は時代遅れなのは分かっていた。

食料品は近所のスーパーを調べ上げ、それぞれの店に特売日がある。そこにいくと、三袋で99円と言うありがたい野菜にも出会える。不揃いなカタチの野菜は何時も安い。総菜や刺身は赤札のつく閉店直前を狙うが良い品に巡り合うかは時の運だろう。

一年振りに会った友人に、去年と同じ服装ね、と言われた。人の服装など自分は気にしたこともない。買ったほうがいいんじゃないの?と友は言う。この言葉はこたえた。正直服にお金をかけるなら音楽の演奏会に行きたいし、スキーの一本も買いたい。見たくて仕方なかったピアニストの演奏会もオーケストラも、手軽そうなスキー板も、今年は出費が惜しくて諦めたのだった。色々なものに興味がありすぎた。

結婚をした娘が遊びに来た。母の日のプレゼントよ、と家内に花束とそしてケーキを持ってきたのだ。箱を開けて驚いた。とても美味しそうだった。駅前のケーキ屋さんともまた違っていた。美味しいケーキなど暫く食べていない。さんざん悩んだ挙句に、スーパーの冷蔵ケースに在る赤札のついたロールケーキをたまに食べるだけだった。それもかごに入れては戻し、を何度も繰り返す。

自分で稼ぐ娘は流石に、高級なケーキを持ってきた。妻によると百貨店の地下にあるこの店は、ケーキ一つで1000円近くするという。自分なら食べた気にするだけにして心の蓋を綴じるだろう。

わあ、凄いね。美味しそうね、と妻は言う。タルトだった。実際それはとても美味しかった、また紅茶のクッキーも味わい深かった。

たまに贅沢をするのも悪くないねぇ、そう妻と顔を見合わせた。もっともこれは娘のプレゼントで、自分たちが買ったものではない。減っていく財布は嫌なもので、守りに入るのも仕方がない事なのだ。しかし、全ては死後には無になる。そんなけちくさい性分は忘れて、パーッとお金を使うのもありだろう、か。服でも買うかな、と気乗りしない顔でショッピングモールを歩く。やはりスルーしてしまった。関心が無いのだから仕方ない。趣味の店である模型店で自分は財布を開いた。美味しそうなキッシュがあったので、それに合わせ少し気張ってチリではなくフランスの、ボルドーではなくバーガンディを買ってみた。カビの入った好きなブルーチーズも忘れなかった。

月に一度は、プチ贅沢も許されるだろう。たまに攻めるのはありだろう。何時か全くわからぬが、そのうち自分も小綺麗な服を着ているかもしれない。

キルフェボンのタルト。それは美味しいに決まっている。頬が落ちるという古い言い回しがピタリだった。こんな贅沢からしばらく遠ざかっている自分に気づいた。妻にも悪い事をしているのだろう。

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