日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ザノースフェイスのマウンテンパーカー

自分がアウトドア趣味に目覚めた1980年代とは少し混沌としていたな、と思う。国内外の文化が混じっていた。アウトドアのファッションとしての話だ。

ハイキングや山登りは昭和30年代から流行り始めたようで当時は英国スタイルなのかツイードのジャケットを着て登っていたようだ。だが1980年代の登山の格好はさすがにツイードジャケット姿は見なかった。チェックのウールシャツに霜降りのニッカボッカ高尾駅奥多摩駅、秦野駅・伊勢原駅あたりでよく見かけた。ザックは蟹の様な頭陀袋であるキスリングが辛うじて残っていたが直ぐにそれは消えて行った。

そんな時期にアメリカ文化が入って来たのだろう。フレームザック、バンダナといったスタイルが雑誌には紹介されていた。その雑誌は「山と渓谷」ではなく小学館の「BE-PAL」だっただろう。誌面にはアメリカのアウトドアファッションが紹介されていた。フレームザックにテントやシュラフを載せてバンダナ姿でヨセミテを歩き、テントサイトではコールマンのガソリンストーブに載せたシェラカップでコーヒーを淹れる。そんな広告が多かった。REIという店舗やシェラデザインズ、ノースフェイスといったブランドはそれで知った。パタゴニアもコロンビアも当時はまだ紹介されていなかっただろうか。登山道具店に行くとニッカボッカやウールシャツが主流だった。ザックはさすがにキスリングは去りナイロンの縦型ザックだった。まだ国産ブランドであるモンベルは今ほど市民権を得ていなかったのかテントや雨具として見かける程度だった。むしろ登山道具店オリジナルの商品が多種多彩だった。そんな中にフレームザックなどのアメリカ商品は輝いていた。

自分はマウンテンパーカーに憧れた。如何にもアウトドアマン風だった。丈夫で防風と雨にも負けない60/40クロス。横糸に綿、縦糸にナイロンを6:4の比率で使っている生地は雨にあたると麺生地が縮み目が詰まり水を通さないという説明だった。そんなヘビーデューティのジャケットはシェラデザインズが本家だった。自分はややへそ曲がりでノースフェイスの製品を買った。今ではアパレルブランドになった感があるが、当時は立派なアウトドアブランドだった。ロゴの三本のマークはそれぞれがアイガー、マッターホルン、グランドジョラスとヨーロッパアルプスの三大北壁を表しているというから気骨あるブランドだった。パーカー素材はパテント回避なのか65/35クロスだった。アクリルのインナーベストは取り外し可能だった。勿論今の様にロゴのプリントなどは無い。実際の登山は発熱発汗量が多くこのジャケットは不向きだった。キャンプやハイキング程度のアウトドア全般に使っていた。緑色のフィールドジャケットはいつか古臭く思えたのか気づかぬうちに現役を引退していた。

今現在マウンテンパーカーと検索すると凡そにつかぬデザインのナイロンのジャケットが出てくる。がそこに64クロスとキーワードを増やすと出てくる。本家シェラデザインズはまだ健在の様で嬉しかった。懐かしくなり押し入れから取り出してみた。アウトドア素材は化学繊維ばかりになった。軽くて機能的なのだから当たり前だ。しかしこの古いマウンテンパーカーはくたびれた感があるがそのデザインも生地の感触も今見ればかえって新鮮に思える。70年代のアメリカ文化がある。なによりもアウトドアに熱中していた若かった自分の姿を思い出す。レトロなジャケットは当時のアウトドアマンの気概が漂う。

さて、毎シーズン早春や秋には遠慮なく着ようと思う。これを羽織ってビノキュラーでも手にして森を歩けば、さぞや楽しそうだ。自分はアウトドアマンであるという気持ちを忘れないようにしたい。それは自分をいつまでも元気にさせてくれるように思うから。ボロボロでも構わないし却って味があると勝手に思う。自分と同様歳を取ったジャケットは、手放せない。

ザ・ノース・フェイスのマウンテンパーカー。アパレルブランドではなかった頃の自分のパーカーは70年代アメリカの香りがある。MSRの燃料ボトル、オプティマスのガソリンストーブ、ビノキュラー(双眼鏡)。当時の憧れのアイテムだった。これらが似合うライフスタイルを頭の中では維持したい。一言で言えばアウトドア心だろう。

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