日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

クリームシチュー

常に平穏な心を保ちたい。何があっても激さず怒らず、気落ちもしない。喜怒哀楽で喜と楽だけあればどんなに人生は過ごしやすいだろうか。怒は周囲を破壊的に巻き込むし、哀は自分の首を真綿で締める。いずれもネガティブこの上ない感情だ。

どうやら僕は喜怒哀楽が激しい人間のようだ。自分でそう思うのだから傍から見ればもっとそうなのだろう。重なる不幸、見えない将来、何一つ終えられない宿題。思い通りにいかない事、こんなはずではなかったという後悔。総てにやる気を失っている。どれも放り投げてしまえばどれほど気楽だろうと思う。しかし一人で生きているわけではない。怒と哀に包まれている時など周りの人間は不愉快だろう。

(つまらない+悲しい)を二乗、三乗、いや無限乗したような顔で生活している。自分勝手さが投げやりな動作に滲み出る。口からはため息しか出ない。「何が悪いの?」と聞かれても答える気にもならない。自分の問題だから。答の無い怒りであり、解決のしようのない哀しみだから。

重たくなった空気を感じて、僕はたまらずに家を出る。もう秋の夜はわずかに明るさを残しただけだった。ひと月前ならば未だ照り付ける西日だった。あの熱いまでの輝きは何処へ行ってしまったのだろう。北回帰線を下り赤道を越えたか。南回帰線に行くのか。そう思うとますます僕は暗くなる。空を見上げた。かすかに残った残照も消え青は藍に溶けていき、ウロコ雲はイワシのように輝いているのだった。澄んだ空気なのに自分は何故晴れないのだろう。あの雲の様に自然体でありたいのに。

薄暮から夜の散歩となった。怒りを込めて僕は歩く。坂道を下りてまた登った。高台にあがると港が良く見えた。ベイエリアの街明かりは手に届きそうだった。もういい、帰路につこう。一歩ごとに僕の不愉快さは地面に落ちていってはくれないだろうか。自宅の近くまで来て良い匂いに足が止まった。それは、妙に暖かく柔らかい匂いだった。クリームシチューだった。甘い香りにの向こうには笑顔の家族の顔が浮かぶのだった。どなた様かもわからないご家族の夕餉のひと時だった。

ふと辛く不快な顔をしている自分が嫌になった。辛く悲しいのか、そう悩む自分が好きなのか、それを周囲に知って欲しいのか、分からなかった。クリームシチューの柔らかな香りとそれを取り囲む笑い顔の前では、自分の想いなど些細な事に思えたのだった。

玄関の扉を開けた。頭を振って不愉快な顔を剥がした。それは仮面のように外れたのか、夕暮れに溶けたのかも分からない。素顔の自分は楽しく過ごしたいのだ。何故色々な事が起こるのか、それを人は不条理とも運命とも呼ぶのだろうか。受け入れるしかない。

明日はあの白くて甘いシチューを作ろうと思う。毎日を生きなくてはならない。煮込み料理は全てを煮崩してくれるだろう。

青は藍になる。ウロコ雲はイワシのように光る。

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