日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ペルソナと仮面

会社を早期退職して三年半だった。本来の定年の年をようやく迎えた。二年前からパートをしている。多少は頭を使うとはいえそれはある程度決まった業務だった。ジーンズにフリース、ナイロンのジャケット。汚れても良い格好で仕事をするのだった。

生活のリズムは変わり都心に出ることも無くなった。たまに駅に出たり電車に乗る。世の中の人はなぜこんなに急いでいるのだろう、と思う。品川駅で降りた。スーツ姿が懸命に走ってきた。教習所のパイロンを交わすように人混みを走り抜けてきた。彼は新幹線乗り換え口に向けて必死だった。列車の時間に間に合わそうとしているのだろう。衝突を避けようと足を引いた僕は激しくよろけた。彼は一瞬止まり非礼を詫びて走り去った。そこまで慌てる必要があるのか。そして自分と変わらぬ年齢でもビジネススーツに身を包み足早に歩く周りの人波はそんな自分を避けて流れるように動く。誰もが何故か眩しく見えるのだった。先に進ませてくれと言わんばかりの姿勢には皆なにかの使命感が漂っている。自分にはそんな使命感など今はないのだった。

しかし今日は少しだけ心に余裕があった。傍目にはきっと自分も、そんな「忙しい会社員」に見えただろうから。とある講習会に参加しようと品川まで来たのだった。出版関連のセミナーだった。ドレスコードの指定はないが講習会の内容からしてビジネスアタイヤーだろうと考えた。そこでいつものジーンズとナイロンシェル、バックパックは止めた。三年振りのスーツにウールのコートを着てA4版が入る革のカバンを手にした。革靴を磨いて履いた。どれも捨てていなくてよかったと思った。

ひどく久しぶりで新鮮な気分だった。ネクタイだけは締めていないがこれで品川駅を少し忙しそうに歩けば、傍から見た自分はわき目もふらずに歩く人波の一部に溶け込むと思えた。何にも縛るものもないのに、何かにせかされるかのように歩いてみた。確かにその通りで違和感が無かった。それが僕をひどく安堵させた。

仮面舞踏会というものに自分はもちろん参加したことが無い。目だけを隠すマスクで自分を隠し知らぬ人と出逢い踊るのだろうか。怪しげだがきっと参加者は楽しんでいるのだろう、自分ではない自分を。トイレの鏡で見た自分の姿。鏡に映ったスーツ姿は自分ではあるがやはり今の自分ではなかった。今の僕は薄汚れた格好の似合う初老の男だった。しかしこの格好をまとえばはた目からはきっとそうは思われない。それが少し楽しかった。このコート、デニムの生地ではないパンツ。革のカバン、黒革の靴。これらは全て自分を他人に変える仮面だった。三年前までは制服だったのに今では仮面だった。

忙しくもないのに忙しいふりをするのも疲れるのだった。カフェに入り揺れ動く人波を見ながら思う。自分にもそんな時があったではないか、それで充分だろう。今選んでいる道に君は満足しているのだろ?ならばそれでいいではないか、と。

大学生の頃少しだけユングの心理学を読んだ。自分に自信が無いとこの手の学問に興味がわくのだろう。うろ覚えだがペルソナと言う単語が印象深い。人の外見的側面。周りの人に見せる自分。するとスーツ姿という仮面は会社員としての自分のペルソナだった。顎に手を当てると髭があった。顎髭は会社を辞めてから伸ばし始めたものだった。禁じられていたわけではないが会社員時代に髭を伸ばすことには抵抗があった。顎ひげをしゃくりながら思う。これはリタイアした自分のペルソナを示す仮面だなと。仮面によってペルソナを変えられるのも面白いと。今日、会社員を演ずるための仮面は楽しかった。人生のステージは変わっていく。しかし今度次にその仮面をつける事はあるのだろうか?もういくつものペルソナを演じる必要もないではないか。ひと時楽しませてくれてありがとう。帰宅し仮面をハンガーにかけてクローゼットに収めた。

暫く使われなかったスーツ。これは自分に別のペルソナを演じさせる仮面だった。