日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

身なりは体を表す

「先日来た人は今日で三日目、でも彼女辞めてしまうんだって。初めて見た時そう思ったのよ。この人は長続きしそうにないなって。」

そう職場の同僚は口にした。彼女はこの職場の受付にいるので来館者の多くに最初に接する。職場の職員はいつも不足気味で人材募集をかけている。採用面接に来た人やボランティア志願の人もまずは彼女が最初に受け付けとして対応する。そんなつもりはなくとも人に会う回数を経て彼女の審査眼は鍛えられたようで、この人はこの仕事に、女性ばかりのこの職場とその空気に馴染むかどうかすぐに分かるという。案の定、今朝がた電話一本で職場に連絡が入り辞めたと言う。鋭い観察だなあ、と感心した。

職場の人材募集への応募者はセカンド、サードキャリアやシニアが多い。するとすでに社会人として経験豊富なことになる。長年培った言葉遣いや対人態度などは変わりようもなくその人の個性として定着している。受付の人にどんな態度で接するか、目を見て話すか、相手に対する思慮はあるか、このあたりがすぐに分かるのだろう。それは頷けた。自分も新入社員の採用面接を何度もやってきた。話し上手かどうかは問題でなく、まずは人の目を真っすぐに見られるかだった。次点は横柄かどうかだった。自己主張が強くとも相手に対しての敬意があるかだった。正にそれと同じ話だ。

少し怖いな、と思い聞いてみた。自分がここに非常勤職員の面接に来た時に受付に居たのですか?と。すると彼女はとても良く覚えていて、スーツにネクタイでここに来たでしょ、だから大丈夫だと思った、と言うのだった。自分は単に一年前まで会社員で、その後病に伏せていただけだからごく普通の常識に則っただけだか、このような地元社会向けの非営利団体の施設の面接でスーツで来る人はまず居ないという話だった。

名は体を表すという。しかし人間に関して言えば名前は与えられたもので変えようもない。それで体を表すと言われても困るが、先の視線や態度に加えて少なくとも身なりで多少の判断がつくと言う。自分の面接は受付の段階でまさにそんなふうに捉えられたようだ。スーツに救われたようだった。

シニアになり会社人ではなくなった時に最初に始末したのがスーツだった。それは長かった会社生活への別れとして実に気持ちよく捨てられた。しかし何かあろうかとスリーシーズンと夏物のスーツを各一着、それに赤い勝負ネクタイ、加えてレジメンタルとペイズリーのエレガントな数本のみ残した。面接にはビジネス・アタイヤと決まっている。季節は冬だったのでグレーのスリーシーズンに気合の赤ネクタイだったのだろう。

これからますますスーツは縁遠くなる。病をしたおかげで当時のスーツは今となっては少し大きい。しかし捨てるのはよそう、そんなことを彼女の話を聞いて思った。自分自身の見識を広げるために、新しい社会に接して次なる刺激を得るために、いつか次の世界に触れてみたい。これまでと全く違う事を。そんな思いがある。その時にきっと出番があるのだろう。名ではなく、すくなくとも身なりは体を表すようだから。

スーツはまさに戦闘服だった。実際の自分はAB体でスタートしていつかBE体になっていた。イラストに書く時くらいはこんな風に痩せてみたいものだ。

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