日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ファースト・ペンギン

三年間以上猛威を振るったコロナ禍もここへきて沈静化したのだろうか。もはや自分も世の感染者何名というニュースに興味を失って久しい。5月からのマスク着用個人判断という方針は嬉しいが高齢者も出入りする自分の職場は今後も自主的にマスクをするということだ。

さすがに登山やサイクリング、そしてジムでの有酸素運動時などはマスクなどとてもできない。酸欠の金魚よろしくマスクをずらして息をして、活を得ていた。血液が酸素を欲しがっている。本能だ。山や自転車では人に会わない場所が多いのでマスクをしている人は流石にいなかった。ジムの有酸素運動エリアは通気に非常に気を使っている。しかし毎日そんな場所に行くわけでもない。

喘息と言う基礎疾患を自分は持っている。ステロイドと気管支拡張剤が混ざった吸入薬が出てきた。お陰で今や背中を丸めて腕で体を支えるような、ネブライザーで気管支を拡張させるような激しい発作はもう何十年も経験していないが、空気には敏感だ。ただし戸外で遥か10m先からでも煙草の煙を察すると一発で気管が収縮する。吸入薬は奏功せず。自分にとってはコロナよりもこちらが遥かに怖い。喫煙は個人の自由だがそんな実態があるとは知ってほしい。

新鮮な空気。やはり本能なのだろう、職場でデスクワークでも気づけばマスクをずらしてしまう。いつも慌てて戻している。社会秩序は乱したくないが一方で充分な酸素を肺は何時も欲しがっている。

先日の朝の犬の散歩でマスクを外してみた。丸めてポケットに押し込んだ。世の人々は密な空間でもないのに皆マスクをしている。着用するしないは自己判断と言っても誰も外そうとはしない。世間の目が気になるのか、やはりコロナが気になるのか。後者ならわかるが、前者ならば日本的な価値観を感じる。出る釘は打たれる・何事も横一列だ。

何事も勇気がいるが自分はファースト・ペンギン になった訳だ。餌も居れば敵ももしかしたら潜んでいるかもしれないが、安全な大陸に居たら何も得られない。群の中から意を決してそう海に飛び込む最初のペンギン。

酸素独り占め。マスクを外すと空気がとても美味しかった。酸素が体中を巡り体組織が歓喜の声を上げるのが分かった。結果として見慣れたはずなのに目に映る光景は新しいものとなる。タガを外し思いきり吸う空気がこれほど美味しいとは。目に映る光景が新しく感じられるとも知った。心が軽くなれば身も軽くなる。ドローンで空を飛んだ、そんな気がした。

今の施設で勤務する以上は、職場の方針に従う。来館される人に万一があったら困る。しかしそれ以外はひとつ自由にしようと思う。最近つとに劣化したと自覚する滑舌もよくテレビなどで見るように長きマスク生活が影響していたとするならば、ここでも日常を戻したい。

さて、フォースト・ペンギンに続いてぞくぞくと海に飛び込むのだろうか。かくいう自分も、水が冷たすぎてすぐに上陸するかもしれない。しかしプールに入るときはいつでもそうだったではないか。

空気は何時も美味しい。酸素はいつも活を与えてくれる。全くありがたい。心行くまで吸う吸わぬは自分次第。半年後はどうなっているのだろう。

数年前コロナが騒がれだしてから、この一箱をめがけて狂騒曲が世の中を駆け巡った。今は遠い昔に感じるが、マスクの日々はどうなるのだろう。

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