日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

かける言葉

湿気の多い梅雨時にはあとひと月か。風薫る五月。ある意味四季で一番過ごしやすい季節だろう。菖蒲湯につかっても夜ならば汗も長引かずに退いていく。かといって寒い訳でもない。

六月でもないのに靴下の蒸れがあったのか、足の指に有り難くないカビ菌が繁殖したようだった。白癬菌というヤツだ。自分には馴染みの病で昨年もらった薬もあるが見当違いで塗ってしまうと却って患部は悪化する。ここはひとつ、と皮膚科の門を叩いた。先生はピンセットで組織を剥がし試液を垂らしてプレパラートに載せた。顕微鏡を微調整して「いらっしゃいますね、水虫菌。」そう言われた。一年前にも罹患したが薬を塗るのを何処かで忘れていたので根絶できなかったのだろう。

待合室の廊下では金髪の女性と可愛らしい男の子が検査結果を待っているようだった。男の子は手にしていた積木を自分に再び渡してくれた。

診察迄30分以上待合室で待ったが自分のすぐ右手に小さな男の子がいた。金髪でとても可愛かった。外見もさることながら何という無邪気な所作なのだろう。積み木や怪獣のビニル人形、自動車のブロック模型や絵本などを片っ端から持ってきては自分の膝に乗せるのだった。最初に笑顔で反応したからだろう。積み上げるものはだんだん大きくなってきた。一つ前のシートには若いお母さんが座っていた。時々こちらを見るだけだった。息子に話しかける言葉は英語ではなかった。なんとなくフランス語のように思えた。後先を考えずにもう忘れかけている言葉をかけた。疑問形の表現は忘れていたが Vous est français?と。しかし反応はなかった。

ニホンゴワカリマス。ムスコハハーフデス。と来た。

なるほど、無理は不要だった。先に区が主催した多文化共生論(*)の講演会で聴いたばかりだ。日本に住む外国人の75%は自分の日本語に自信があると。少し会話が進まぬか、と失礼ながら、と出身を伺った。フランスかカナダか、と勝手に想像していた。

ウクライナです」。そうお母さんは言われた。

そこで自分はたちどころに会話の端緒を失った。次に何を言えばよいのか即座には浮かばなかった。日本の健康保険所を持っているのだからご主人が日本人なのだろうか。この年齢の息子さんが居るのだから戦火を逃れて来たのではないだろう。そもそも日本国の難民判定は異様に厳しいと聞いている。その前から日本人との家庭を築いていたのではないか。彼女の年齢からすればご両親が健在なら自分の年齢の少し上あたりだろう。日本に居るのか?ウクライナに居るのか?キエフなのか? そんな質問は失礼の極みで何の意味もないだろう。

ひどく無力感を感じた。話しかけた以上、そして国名を答えてくれてその場で沈黙するのも失礼だった。忙しく頭を動かし、ただ一言言った。「早く戦いが終わればいいですね」、と。彼女は特に肯くでもなくアリガトと言って息子を引き寄せた。何かに諦めているような気もした。丁度彼女たちが診察に呼ばれ、自分はほっとした。

自分の言葉が彼女にとって何の救いでもないことはよくわかっていた。かの地の戦いが大きく回ってマクロ経済の視点で自分達の日常生活に影響を与えているのは確かなのだろうが、実際に戦いが起きている場所はあまりに遠く、また日夜流れるニュース報道も自分の場合はただ目の前を通り過ぎているだけだった。

何もかける言葉が無い、浮かばないというのは辛い話だった。ただ苦し紛れに言った言葉には嘘はない。病院の会計も、帰りのエレベータも一緒だった。サヨウナラと一言小さく言って、彼女は息子と先に行ってしまった。

風薫る五月の夕暮れは冷やりとしていた。今回こそは根気よく白癬菌の薬を塗ろう、そう思っていた。

40年以上昔に使っていた地図帳を引っ張り出した。この地図帳にもウクライナ共和国と記されているが、よく考えればソビエト連邦の一部としてやはり共和国ではあった。両国の現代史を何も知らない自分を改めて知った。言葉一つ掛けられないのも当たり前の話だった。

(*)

shirane3193.hatenablog.com

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