日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅14・二十三階の夜(曽野綾子)

二十三階の夜 (曽野綾子著 1999年 河出書房)

曽野綾子の小説やエッセイにはほとんど触れたことはなかった。高校生の頃に読んだのは「太郎物語」だった。曽野氏の息子・太郎氏がモデルなのだろうか。名古屋の大学に入学、始まった太郎の一人住まい生活とその風景、大学生活を通じて得ていく自己。母親(曾野氏であろう)の目線や太郎の目線を絡ませながら書かれた風景は明るい読後感で、好きな書だった。かつて自分の両親が転勤で住んでいた名古屋と言う街への興味も湧いたが、なによりも自分自身が当時は大学進学も決まり落ち着いた時期だった。親は転勤族だったので自分の大学生活は一人住まいだ。自分にも来るであろう近未来の生活を明るく照らしてくれた、そんな記憶がある。

その後彼女の作品に触れなかった理由は分からない。自分の大学生としての生活が太郎氏のように明るさに溢れ前向きなものだったのかも分からない。ただ、自分なりに楽しさがあり素敵な友人たちに出会い、4年間はあっという間だった。自己はどうあるべきかと悩む時期でもあり、本を手に取るとしたら強い男性像を描いた小説や哲学入門のような書だった。社会人になり結婚すると仕事は忙しくなり僅かな育児の手伝いもあった。なによりもアウトドア趣味に週末を使っていた。本はアウトドア雑誌と登山ガイド本、会社員生活後半は自己啓発書やマーケティング本など。小説はなかった。

ようやく読書をしよう、と思ったのは会社も退職して時間が増えたからだろう。しかし病気の後遺症で集中力の維持が難しく通読は辛い。著者の意図する表現内容をどこまで読み取れるかは自信が無い。今回の曽野氏の書はそんな中で触れた一冊だった。

十作の掌編集だった。カトリック信者である曽野氏だけあり苦しみからの救済というテーマが根底にあるのか、と感じた。

苦しい生活と信仰のありかたを南米の修道院やシスターの経営する僻地での乳児院での風景を通じて描いた作品。

自分が目を離したすきに事故で亡くなった息子への思いを忘れる事も出来ない、しかし一瞬の食事の楽しいひと時でその苦しみを忘れた自分に対する後悔が残り「これでようやく息子に再会できます」と遺書と共に自死を選んだ母親。

戦前戦後を通じて建っている古い駅舎を建て替えるという話がある。その駅舎で女性は憧れの青年の出征を見送り白木の箱に入ったその遺骨の帰還に立ち会う。やがて結婚し産んだ息子は発育不全だったがやがて成人し女性が見送る駅舎から就職した街へ旅経つ。しかしその後新天地ですぐに息子は病に倒れ死んでしまう。女性は二人の愛する人をこの駅舎で見送った。そんな駅舎を壊してほしくない。二人の青年の人生の無言の記念碑なのだから。

交通事故に巻き込まれた青年。彼は我が身を省みずに助けに行った女性の元に事故の傷が癒えてお礼を言いに行く。そんな風采の上がらぬ彼と女性は結婚式を挙げる。挙式での牧師さんと懇意になり、ある日の牧師夫妻のペアルックを見てその素敵さに彼女は憧れる。夫と白いスニーカーを履きともにブレザーを着て旅行したい、そんな夢を彼女は持つ。二人は幸福な家庭を築くものの彼女の夢はかなわない。多忙な時期を経てこれでペアルックで旅に行けるねと話しているときに夫は病で世を去る。そんな事を語る中年夫人と旅先で知り合った筆者の視点で描かれた作品。

十篇の作品を通じてそこに流れるもの。生きる中での苦しみ、別離。死への向き合い。親しき者の死はいずれ風化するのか。いつまでも癒えぬ寂しさや苦しみに如何に向き合うのだろう。何処に救いがあるのだろう。…やはりどこかに自己の明確な宗教観を持っていないと書けない作品だと思った。

幾つもの著名作がある曽野氏だが次は彼女の初期作で芥川賞候補にも挙がった「遠来の客たち」を読んでみたい。朝穫れのレタスのように瑞々しい作品なのだろうと思う。図書館には在っただろうか?

なかなか再会しなかった曽野綾子氏の小説。遠来の客たち、神の汚れた手、これからの楽しみだろう。

 

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