日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅26 コンビニ人間(村田沙耶香)

● コンビニ人間 村田沙耶香 文藝春秋 2016年

何かが尖っているのだろう。主人公は女の子。小学生の時に校庭で死んでいた小鳥の亡骸を見て、クラスメイトか泣きながら埋葬の話をしている時に、彼女はこれを焼き鳥にしたい、お父さん焼き鳥好きだから。という。中学のクラスメイト男子の喧嘩の仲裁で手っ取り早くスコップを振りかざす。授業の出席で女の先生がヒステリーを起こしクラスがパニックとなりそれを収めようと先生のスカートと下着を一気に降ろして沈静化させた。

家族はそんな彼女を直そうとカウセリングに連れて行く。普通になってよ、と懇願する。彼女は何が悪いのかわからない。自分がやったことは効率的な解決手段だと信じている。

彼女を受け入れる社会もなく、実家を離れコンビニでパートを始める。コンビニ店員という仮面を被り仕事をすることでそこに自らの生きる場所を見出す。仮面をかぶればどのように振舞えば常識的で周囲に違和感を与えないかを他の店員の所作から学び、それも実行すればよいと知る。コンビニ店員と言うペルソナを被ることで自らの内的側面は維持されてる、彼女はそんな自分をコンビニ人間だと自覚する。

異なるベクトルで尖っている男性コンビニ店員がパートで雇わて入ってきた。彼はこう言う。社会の通念として就職して家庭を持つことが求められる、それを縄文時代の村の文化、古い概念と言い切りそれに適合できない。彼も自分の居場所を探していた。

男性は自分を「縄文の村社会に馴染めない負けた人間」と言い、彼女は自分の何がいけないのかが分からない。仮面を被れば社会生活ができると。中年に差し掛かったそんな二人は家族を喜ばすため、社会通念に外見上でも沿うように、愛のない奇妙な同居を始める。

生きていくのが難しい世界なのだと思う。高度に情報化が進み社会は複雑になっている。しかし昔のように全員右へならえではなく価値観は多様化しそれに対する理解も広がっているはずだ。一方で当事者の持つ違和感、閉塞感や苦しみは自分にはわからない。また実際にそれらの障害に困っている人々を支援する社会の仕組みやあるとすればその仕組みと、取り巻く偏見ががどの程度のものなのかも自分は知らない。

この手記は診察を待つかかりつけの内科クリニックのロビーで書いている。そこはメンタルクリニックの看板も掲げている。皆目を閉じてたり腕を組んだりして座っている。心と体に悩みを抱える色々な患者さん達だった。十人居れば十の人格があり、十の苦しみがある。自分もその一人だった。診察を終えて商店街を歩いて駅に向かう。老若男女、多く行き交う。百人いれば百のパーソナリティが行き交っている。この中で自分が正常などともとても言えない。何が正しく何が外れているかもわからない。正しいこととは、なんだろう。誰が何を基準にそう決めるのだろう。外れても何が悪いのだろう。

多様化と受容。それがこの本のテーマなのだろか、そう考えた。

生きるのに複雑な世界になってきた。間違えなく高度に情報化された社会が人間に与える影響は否めないと思う。

 

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