日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

迷いネコ

一軒家が立ち並ぶ自宅周辺には野良猫がやたらと多い。通りを自由に歩いている。鈴をつけているネコもいるので、野良猫なのかどうかも分からない。

自分は猫を飼ったことはないが近所を歩くとその生態が何となくわかる。あるお年寄りの家では猫が来るのが嬉しいのか、庭で餌をあげているお婆さんもいらした。そんな風に餌を出してくれる家が何軒があり、そこを渡り歩いているのか、あるいは家ネコという単語通りに何処かの家で飼われているのか。しかし概ね犬のように家で飼われる動物ではないのだろう。野良でなければ何軒かの家に日替わりで棲みついているのではないか。それぞれの家庭が好きなように名付けてスパイのように幾つもの名前を使い分けるのだろう。タマとよばれ、ミケとよばれ、トラと呼ばれる。一人三役ならぬ一匹三役だ。

我が家にもよく遊びに来る。生ごみを出そうものなら袋を開けて散らかされる。ガレージで排泄をすることもありあたりが臭い。恋の季節が来るとサカリのついたハイトーンな唸り声。彼らの生態に目くじら立てても仕方ない。彼らは悠々と狭いブロック塀の上を余裕で立ち去っていく。曲芸師だった。

迷いネコの張り紙を近所の電柱で見かける事もある。家から出ぬよう注意していたのだろうが何かの隙間を見つけて例の身軽さで自由になったのだろう。張り紙は頻繁に見かける。みつかるのか?と思うのだった。

暑い夏の日が続く。近所でエサを与えていたお婆さん宅は綺麗に取り壊された。違う一軒も同様だった。複数の家でも何処かに帰属しているネコは幸せだろう。しかし完全な野良猫にはあまりにも暑く過酷な季節なのだろう。車の下や家の隙間で横になっている猫はよく見かける。良い所を見つけたなと感心する。

外出から戻ったら隣家との隙間の日陰に猫が横たわっていた。迷いネコだろうか。涼しそうな場所だった。しかし微動だにしない。わざと大きな音を出してみた。動かない。…猫は死んでいた。餌場の一つだったお婆さんはもう居ない。変にゴミ箱をあされば食中毒にでもなるだろう。水分もそうそうとれまい。自宅の敷地なのだ。途方に暮れて区役所に電話をしたら市のごみ回収局の担当と言う事で転送された。資源回収車が後ほど来ます、と言う事だった。

資源局の人は45リットルの黒いビニール袋を手にして現れた。自宅の敷地なので立ち合いが必要だった。ハエを払って馴れた調子で袋を上に被せて猫を上げて袋を裏返しにして端を捻じり固く結んでいた。四肢はつっぱり尻尾はわずかに曲がっていた。立派な猫だった。そのままの形のビニール袋だった。いつものごみ収集車に入れていた。このままほかのごみと共に焼かれるという。猫の行き倒れは多く彼の担当する地域でも一日40匹から50匹居るとの話だった。犬は行き倒れはないが稀に自宅で飼っていた犬を放置していた例に対応することがあるという。あとは飼い主が葬っているのだろう。ゴミとして捨てられるのは哀れだった。収集車の回転板が回り黒いビニール袋はごみ槽の中に押し込まれていった。

彼の一生は幸せだったのか、僕にはわからない。何処かで生まれ、山の多い住宅地を闊歩し、親切な方の厄介になっていたのだろうか。誰かに愛されていたのだろうか。あのお婆さんのえさ場に来ていた猫かも分からない。あるいは家ネコだったのだが自由を求めて網戸の隙間から外に出て、気ままに歩くうちに外気温40度。辛うじて見つけた我が家の日陰で休んでいたら永遠の眠りについた。いずれの猫でも、少しだけでも良い思いをしてくれたのならきっと幸せだったのだろう。恋をして子孫でも残したのかもしれない。

すこしだけ気が重かった。彼は迷いネコではなかった。永遠の臥床を得た猫だった。西から照り付ける太陽は彼が横たわっていた狭い場所に遠慮なく日差しを浴びせていた。確かに重量物があった証としてそこの砂利は少し窪んで影を作っていた。余りに容赦ない日差しに軽い眩暈を覚えた。

永遠の臥所。何時か花でも咲くのだろうか。