日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

転倒 ~ エンディング・ノート

国道1号線は片側二車線でどの車も結構な速度で走っている。家内を職場に送っていく途上だった。ガソリンスタンドの前の信号で停車となった。丁度その歩道に数人が居た。よく見ると高齢の人が倒れていた。信号が変わり後続車にクラクションで促されてしまった。やむなくアクセルを踏んだが放っておけずにハンドルを切り現場に駆け戻った。倒れていたのはお婆さんで買い物袋のついた四輪歩行用カートを前にして仰向けなっていた。すぐそこのスーパーで買ったのだろう、ネギと白菜が袋から顔を出していた。

数人いたのはガソリンスタンドの従業員と通りがかった青年だった。二人は上手くリレーしたようで、スタンドのお兄さんはお店の白いタオルでおばあさんの額を押さえていた。通りがかりのお兄さんは手際よく救急車を呼んでいるところだった。お婆さんのズボンには額からの血痕がついていた。

自分にできる事は何かないだろうか。数人がかりで上体を起こした。尻もちをついたまま座り込んだ形になった。これ以上彼女を持ち上げるのは難しい。結局自分は意識と彼女の身分を示すもののありかを確認するだけだった。質問に対してお婆さんはカートの袋を指さし「健康保険書」と言うのだった。

サイレンが近づいてきてすぐにスタンドの前に停まった。ここからはプロの仕事だ。自分の見た範囲のバイタルとADL、そして身分証明書の所在を救急隊員に伝えた。カートを指さしながら、大丈夫よ、とでも言いたそうなお婆さんの顔が頭から離れなかった。立ちたいけど立てない。そんな苦しみがお婆さんと言う一人の人間がこれまで築き上げてきたものを、ガラガラと崩してしまったようだった。格好も何もなく彼女はただ無抵抗になっていた。服は着ているが心とプライドは裸同然だった。それが気の毒だった。もう大丈夫だからね、とだけ言って車に戻った。救急車が来て乗り込むときはきっと安堵の顔だったろう。

何時か似た光景があったなと思い出した。もう5,6年前だった。自宅近くの夜道で初老の男性が倒れていた。心臓麻痺か脳溢血か。しかし意識はあるようだった。すぐに救急車を読んだ。しかし気づいた。彼は少し、いやかなり酒臭かった。酔って倒れたのかもしれない。しかし動けないから自分のやったことは正しいか、と思った。直ぐに救急車が来て退院さんたちは大きな布で彼を水戸納豆のようにくるみ寝台に載せていた。そのときに気づいた。男性の髪の毛がズレ落ちていたと。頭の皮が転倒して剥がれた訳はない。それはカツラだった。彼は全ての虚飾をはいで、素の人間として寝台に横たわった。そこで自分の役割は終わった。ただの通りすがりだからなにもできない。

転倒ばかりではないだろう。彼のカツラは不本意に剥がれ素をさらけ出したがカツラでなくとも誰でも人には知られたくないことがあるだろう。出先で大怪我、ましてや客死などしたくもないが、自転車旅・山歩き・山スキーなどと半歩間違えば生命に影響を与えるような領域を楽しんでいると、いや日常の生活においても、そんな素の自分をさらけ出さざるを得なくなる状況は起こりうる。逆にこれだけは大切な人に伝えなければいけないこともある。そしてそれは必要な人に伝わっているだろうか。

あのお婆さんも初老の男性も、そんな事に対する備えはあったものか。自分とていつ何が起こるか分からない。そんな年齢になった。素のままの自分になり、炭素と水の存在になってしまったときに身の回りの人に迷惑をかけないように。ある程度のそんな事項は病で入院しているときにノートに書き家族にシェアした。足りないこともあるだろう。「エンディング・ノート」のひな型をダウンロードしてみた。明日にでも書いておこう。色々な事を伝えなくてはいけない、と改めて知る。

 

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