日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

演奏会ロス

友人が所属する吹奏楽団の演奏会を聴いてきた。年に2回定例演奏会がある。金峰山や茅ヶ岳、八ヶ岳鳳凰山北岳に甲斐駒。そんな名山が眼の前に広がる高原台地に木をふんだんに使った素敵なコンサートホールがある。海抜は700m程度だろうか。澄んだ空気が音を美しく際立てる。ホール前から見る風景、山が好きな自分にはすべてが懐かしの旧友で、彼らとの再会だけでも感無量になる。そんなところで聴く演奏会はいつも素敵だ。

演奏会では開場時間になると舞台の袖でちょっとしたウエルカムをやることがある。各パートから一人づつ出てきてアンサンブルを聴かせてくれる。トランペットを吹く友人は今回そのアンサンブルのメンバーになり力演されていた。大人数の合奏も素敵だが総員五、六名のアンサンブルも楽しい。各楽器の音色もよく分かる。当然全てのパートは筒抜けだから演奏は緊張するだろう。五分程度だが演者にとり長い、いやあっという間の時間だ。濃密と言うべきだろう。

演奏会が終わり写真をラインしたら友人から返事が来た。「お客様も楽しんでくれて良かったです。今はロスです」とあった。

…演奏会ロスか。あまりに楽しい時間が終わると暫くはその充実感で自身が満たされる。そして過ぎてしまったその時が懐かしい。精神の高揚のあとに来る虚無感。それに湧き上がる次回への想い。人前で演奏したあとの充実感とその後に続く印象は格別でしばらくはボーっとする。「演奏会ロス」だろう。似たような経験は登山の後にも来るしサイクリングのあとにも来る。全力で打ち込むことへの素敵なご褒美だろう。

ああ、あの時音を外した。展開を間違えた。拍がズレた、といった後悔もあるが、ミスの多いフレーズを何とか乗り切ったという喜びもあるだろう。そもそもステージに立ち薄暗い客席を見るだけで血圧が上がってしまう。全てはうわの空になる。自分もバンドのライブの映像を後で見る事がある。ライブ終了後しばらくは、するめを噛むがごとくそれを見て楽しむ。「自分は何と下手くそな演奏なのだろう、皆に申し訳ない」と思う。更にミスった曲は飛ばしてしまう。現実に向き合う事は結構苦手なのだろう。
 
練習しながら、実際のステージの事を想像すると緊張して怖くなる。今日眠って目が覚めたら成功裡のうちにライブが終わっていた。そうあればよいと思う。しかしそんな訳はなく確実にカレンダーは進んでいく。ステージでの高揚感は一度味わうとやめられない。友人も冬の演奏会に向けてはやくも指慣らしを始めているのだろう。演奏会ロスと言われていたが、もうそれも次の楽しみで上塗りされているはずだ。
 
さて自分も、一日20分は練習だ。いくらネックが太くとも梅雨時はチューニングもズレやすい。チューナーで音をあわせて、あれれ、いきなり出だしのキーを間違ってしまった。あぁ、どうなることやら。

友人の演奏会。第二部はメンバーもアロハで登場。ラテンナンバーなど初夏向きな曲が並び楽しめた。

こちらの方はなかなか難しい。脳の老化のせいにしてはいけないが覚えどすぐに忘れていくのだから。