日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

高台から

ステージからの風景を味わったのは数年振りだった。わずか50センチほどの高さの演台だが店の奥まで見渡せる。思っていたよりも大きな小屋だな。80人は入るな。サウンドチェックの段階では同じステージに上がる他のバンドなどの関係者しかいない。今夜はここでプレイするのか。DIにシールドを刺しアンプに火を入れた。好きなアンペグではないが緊張してしまい、これがどのメーカーのアンプなのかも目に入らなかった。トーンは全てミドルにしてゲインとマスターをいつものように合わせた。リハのスタジオとは違い図太い低音は地下の部屋を揺らす。ツインリバーブもJCも好い音だった。テレキャスストラトが良く鳴っている。チェックでPAを通すとバスドラムが腹にしみる。キーボードがきらびやかだ。ああ、これだと思う。

ライブハウスは地下にあることが多い。狭い階段を下りて地下に行くと漏れてくる音響、開けた扉の向こうの熱気には体が動く。ステージは客席より一段高い。部屋が小さいので出演者の息遣いが聞える。観客としては醍醐味だろう。

三年振りのステージだった。コロナ禍で社会全体が数年沈滞した。多くのライブハウスは経営に行き詰まりある店はしばし閉じて、ある店はクラウドファンディングで耐えた。自分が属するバンドもその間に活動中止していた。しかし音楽とは人間の感情の中でもプリミティブなところに位置している。嬉しい時も悲しい時も必ず歌が横に在る。リズムも日常の中から生まれてきた。ビートに身をゆだね歌詞に泣く。美しい旋律に涙して敬虔な気持ちになる。そんな音楽への思いは尽きない。人である以上それは決して消えない。それは本能と言われるものだろう。

三か月後にステージに立とう、そんな嬉しい連絡が来たのは夏の暑いさなかだった。二年前に病を得た自分は抗がん剤で指先が痺れて感覚がなくなっていた。ああ、楽器も無理だな、結局下手くそなベーシストで終わるんだな、と思った。しかし一年も経つと元の感覚に戻っていた。

ステージの上から見る風景は懐かしくもあり、思うだけでこみ上げてくるものが在った。果たしてミスらないだろうか、嫌絶対ミスる。ミスってみせる。当たり前のことだから。そう思うと気が楽になるが血圧は多分150を超えているだろう。怖くて仕方がない。逃げ出したい。しかし高揚感と全てが終わった後の気分がそんな弱気に蓋をする。

ステージの上に立った。来たな。ドラムスのカウントが入った。薄暗い小屋の中にパッと照明がステージに飛んでくる。よし、行こう。

人間が持つ原始の本能が僕を満たす。体から溢れたエネルギーは指先に伝わり、左手はフレットの上を動き右手人差し指と中指がつられて動く。いつか体は前後左右に動き、自分はバンドのグルーブの一つになる。高台から見る客席は暗い闇だ。しかしそこに自分達の出す音で体を動かし踊る人たちがいる事を、僕たちは知っている。舞台と客席は一体感と言う三文字の下で一つになり、それは渦になる。

高台からの風景は一度味わうと癖になる。総てのステージが終わりお客様も去った。小屋にはビールジョッキが山のようになり演者の笑い声で満たされる。汗と満足が入り乱れている。この場所で共にプレイしたメンバーへの感謝が大きかった。次回も又、高台に立つだろう。

重たい機材を背負い狭い階段を登り外に出ると、汗ばんだシャツが冷たく上着を羽織った。日付が変わろうとしている。空気は刺さり街路樹は色ずいていたが心の中だけ火のように熱かった。未だに残る雑踏の中を駅に向かった。

七人のつくる音がまとまり渦となる。それは小屋を揺るがす。観客席は湧きそれが演奏者に伝わりグルーブの相乗効果が生まれる。きっと地下の小屋は熱気で飽和していただろう。

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