日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

忘れ物

昔はすらすらできていたのに、暫くブランクがあると全く忘れて、何もできない事がある。

ライブハウスの予約もしていた。フライヤーも作ってあった。しかしその数か月前に中国で発生したコロナウィルスは瞬く間に日本にも上陸しすべての社会活動はほぼ停止してしまった。バンドもライブハウスをキャンセルした。それから3年半、いつしかコロナの話題も消え去り、かわりにバンドのライブが決まった。3ケ月先の話だ。前回の様に単独でハコを借り2ステージ20曲を演るのではなくメインアクトの前に5,6曲やらせてもらう。ナンバーは新しい曲を取り入れずにこれまでやり慣れてきたものを、また、バンド編成もミニマムでやろうという話だった。「皆で数回音合わせをすれば出来るだろう!」という訳だった。

さっそく練習を始めようと楽器を手にした。さすがにチューニングをすることは憶えている。しかしチューナーの電池は切れていた。音叉も何処かに行ってしまった。五本の弦を合わせるのも一仕事だった。概ね弦は緩んでいるのでペグを締める。

飽きるほど演奏していた曲だから、聞けば勝手に指が動くだろう。過去の自分の音源を再生した。しかしキーを全く覚えていなかった。Gと思っていたら弦違い。Cだった。困ったことに音源を繰り返し聞いてもまったく音が取れないのだ。一から出直しだ、と覚悟をした。ネットで譜面を探した。すでに癖がついているであろう自分の音源ではなくオリジナルの楽曲を出直しで聴き始めた。課題曲全てにこれをするのか、と思うとややうんざりしている。

三年半の間、全く楽器に触れなかったわけではない。病で床に臥せたのは半年だけだ。復帰してから指を慰める程度には弾いていたがなにせ目標なき練習ほどつまらないものはない。触ったとしてもスリーコードのフレーズを思うままに、つまりながら弾くだけだった。ある曲はしばらくやっていると思い出した。意外に指が動いてくれた。しかしとてもドラムと共にグルーブを生み出すところまではいかない。バンドに迷惑だろう。今までどうやってノリをだしていたのだろう。

脳とは体の中で一番酸素の消費量が多いという。つまりもっともエネルギーを必要とする臓器と言う事だ。放っておくと楽をしようと、脳はアイドリングに入る。すると認知の低下が訪れる。そんな事を認知症の講座で聴いた。生活リズムの総てをパターン化してそれを規則正しく繰り返していくことは一見良さそうだが結局は脳にとっては楽をしていることになる。ゆえ、順番を変えるとか新しいタスクを加える、といった事が必要だとはテレビで言っていた。これからの全ての生活において、それが必要なのだろう。楽器の練習とて、馴染みのフレーズだけ弾いても仕方ないとよくわかる。

もう40年以上昔に、興味があり、好きで始めた楽器のはずだ。原曲に丁寧に向かい合い、グルーブ云々よりまずはメトロームでキチンとリズムキープだろう。それはきついが嫌いな事ではないはずだ。

総てに於いて物忘れが激しくなってきた自分。忘れ物は所在を見つけるまでが大変で、見つかればあとはそこに電話をして取りに行くだけだ。今は所在がまだわからない。もうすこしで目鼻がたつかもしれない。脳が動き出せばあとは繰り返しだろう。失われた三年半をさかのぼり、今日もアンプに火を入れる。日々少しづつ、手繰り寄せられると信じている。

好きで始めた楽器だから暫くやれば脳もアイドリングから運転状態に戻る事だろう。そこまでが大変だ。

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