日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅25 日本百名山を楽しく登る (岩崎元郎)

日本百名山を楽しく登る 岩崎元郎 山と渓谷社1999年

山の作家・深田久弥氏が著した「日本百名山」が主に中高年ハイカーの目標として人気になったのは何時頃からだろう。30年以上前に自分が山の世界に入ったころは違っていた。しかしその数年後にはブームになったのではないだろうか。自分は純粋に山岳文学として「日本百名山」を愛した。どの山についての記載も覚えるほど読んだ。日本の山は五穀豊穣、山岳信仰山麓の里とは切れない縁がある。そんな史学や人文学的な視点に加え地理学的な位置づけにも言及し、最後にご自身の登山の紀行を描く。どの山についても文庫本の4ページ程度に収めている。その文字数は2000字程度ではないだろうか。だらだらとせずに簡潔にまとめられている。

この本は自分に様々な夢を与えてくれた。見ぬ山、知らぬ地。そこに素晴らしい山がある。登ってみたいものだと。百と言う数があるのでそれは山登りを始めると格好の目標になった。ただ自分はそれを単に稼ぐのではなく書に書かれた文に酔い、憧れが最初に湧いた。それが濃い山から登った。深田氏は百の山を選ぶ以上それ以上登らないといけない。泣く泣く百の山の選から落とさざるを得なかった峰々も多かった、とはあとがきにある。選から外れた山に加え深田氏の遺志をついで発足した深田クラブが選んだ計百山は「日本二百名山」としてこれも広く人気を得ている。これを機に各地方や県でさまざまな地元の百名山がブームになった。それと中高年ハイカーの隆盛は比例するだろう。ハウツー本と登山ガイド本も増えた。

手に取った書の著者である岩崎氏は一時期テレビの登山番組の講師としても出演され人気があったと記憶する。穏やかで人懐っこそうに、分かりやすく解説するのだから当然だろう。書は、前半には百名山についてのご自身の考察、山登りの基本技術・心構えといって技術ノウハウ編、そして後半に百山のおすすめコースなどを記する構成だった。人気の山のオーバーツーリズムについても触れられていた。

「誰と登るのか、それが問題だ」と書かれた章があった。単独登山、仲間内との登山、山岳同好会での登山、ツアー登山。いろいろな形態がある。それぞれに良しあしがある。岩崎氏の結論は楽しく安全の登れればそれが正解というべき記載だった。ハイキングで始まり夏山縦走、そして山スキー迄。自分はずっと単独行だった。人のペースを気にすることなく気楽でよかった。独り歩きでは自分自身に向き合い色々な事に思いを馳せられる。とても貴重な時間だった。いつか同じスタイルで山に接する友が増えた。幸運だった。ある方は社会人山岳会ご出身で、ある方は高校山岳部から山を叩きこまれた人だった。経験豊かな彼らから多くの事を教わった。彼らとの山は単独行とは異なる楽しみがあった。いずれも今も続いている。

この書の中で、ツアー登山についてにも言及されていた。パーティがばらける事、リーダーの資質などの課題があるとのことだった。その通りで、朝出発時間までの他人同士で十数名、体力と経験値が違うのにパーティが組める訳もなかった。実際足並みの乱れたパーティを山で見かける事も多かった。北海道の百名山トムラウシでの夏山大量遭難は2002年の事だった。ガイド3名で15名の登山客。急速に変化した天候を読めずにツアーリーダガイドを含む8名が低体温症でなくなった。体力技術が違うのでパーティはばらけてしまいガイドもフォローしきれなかった。予定もあり多少の悪天候でも行動せざるを得なかった。記憶に残る山岳遭難だった。旅行社とガイドは業務上過失傷害を問われた。このケースは学ぶことが多い。岩崎氏のこの本の発行があと3年遅かったら、同書に更なる警鐘が書かれていただろうと思う。

深田氏の日本百名山に盲従し登るだけのスタイルに否定的な方も多い。氏の著作を読まずして登る方もいると言うから信じられない。一方で励みになるのも事実だった。目下自分は73山登っている。残すは北海道9座と九州6座、四国2座、北アルプス8座それに富士山、草津白根の計27座。北海道の山はヒグマが怖くて行けない。北アルプス剣岳も高度感に堪えられそうにない。富士山には登ろうという気が起こらない。草津白根は噴火で入山できないまま。もう、いいではないか。体育活動や運動全般が苦手だった大学生までの自分としてはよくやった。ここから先、焦る必要もない。自分が出来る事をやれれば良い。二百名山は目下21座。双方合わせてそれに自分の好きな山を加え見直せば自分の愛する百山が決まる。そう思うとまだまだ楽しみが残っている。

それは何処だったが覚えていない。何処かの山頂か、あるいは登山道具店だったのか。お一人で歩かれる岩崎氏にばったり会ったことがあった。気づいた人は握手を求めていた。頭に白い手拭いを巻かれていていたと思う。とても小柄だがパワーにみなぎっていた。眼光も強かった。ああ、山を歩く人の顔だな、と思った。彼も又、自分をここまで引っ張ってくれた人なのだろう、そんなありがたい気持だった。

図書館で借りた岩崎氏の著作(右上)。人様の選んだ百山を追う事の意味についてはよく考える。確かに良い山ばかり載っている。自分の好きな山と言うのもある。両者をあわせて自分の心の百山にすればよいだろうな、程度に思っている。

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