日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

まだまだ老いてはいけない

「ねぇ、最近守りに入っていない?まだ私たち若いのよ。」

そう家内に言われて目が覚めた。病魔に遭ってからは一日一回は考える。自己の消滅。それを思わざるを得ない環境に居た。消滅は生物だから必定だよ。そう自分を納得させている。それだけではない。短時間に老いて施設に入った親。地域の人々が利用する職場にて出会った地元のご老人の訃報。現役でバリバリ働いていた頃には考えもしなかった世界が、毎日自分を取り囲むのだった。

放っておくと否定的になってしまう。そんな状態から避けるかのように病で中座していた趣味は全て再開し、古い友人達と久しぶりにつながり途絶えていた親交を深め出した。フルタイムの仕事は無理でパートの非常勤を選んだ。

まずは体、働く必要ないでしょ、と家内は言うが、自分はやはり知らない人のいる新しい世界と繋がりたかった。取るに足らぬ仕事は地味な日々だがその積み重ねの中に小さな生甲斐があることも知ったのは光明と言えた。が体は思うように動かない。そんな我が身の塩梅を見ながらスケジュールを埋めた。自らを何かに縛り付けるようなものだった。

母親が新たに入った施設へ頼まれたものを届けに行く途中だった。以前大型紳士服店だった幹線道路わきの地に数年前からステーキハウスが開店していた。自分には重たそうだなこの料理、そう思い敬遠していた。

妻の言う通りだった。母は石灯籠が倒れるかの如く一気に体調を崩したが、よく考えると80歳も半ばを過ぎている。その子である自分、周りを見回せば同年代の多くはまだまだネクタイを締め電車に揺られているではないか。世間的にはよくある「新橋駅前でインタビュアーに世相を聞かれる会社員」であっても不思議はなかった。自分一人、なぜにこんなにひどく落ち込み後ろ向きな気分で毎日を過ごしているのだろう。まだまだ老け込む歳でもないでしょ。と妻は言いたいようだった。しかし我が親とその施設に夫婦で共に接する中で、妻自身も又否定的な気持ちは避けられないようだった。自分をいさめるその言葉は、自らへの言葉のようでもあった。

「ステーキでも、食うか。力を出そうぜ。」

帰路にくだんのステーキハウスに立ち寄ることにした。ステーキハウスとは聞こえが良いが肉料理のファミリーレストランだった。店内には明るい子供の嬌声とそれを諭す親の声が響き渡っていたが、それは間違えなく25年前の自分達の姿だった。

その頃、病の罹患やましては「老い」などは永遠に無縁だと思っていた。しかしそれはありえない話だった。癌という名の自己の体細胞の分裂異常は普通にあり得る。日々確実に筋力は衰え、認知・記憶力も僅かづつ減っていく。それは生物である以上不可避だった。そのいずれも我が身にやって来た。だからとはいえ必要以上に委縮するのも正しくない。まだ10年、15年、20年、25年。全く錆びることのない輝く未来図を浮かべたらどうだろう。目指せるはずだ。萎むばかりの将来図は寂しいし、そうはならないはずなのだから。

「ああ、やっぱりこんな沢山の量は食べられないなぁ。歳だもんな」。何気ない一言は即座に否定された。「ほら又言う。若い人でもきっと量が多いのよ」

まだまだ老いてはいけない、そう何度も妻に目を覚まさせてもらった。しかしそれはまた、彼女自身への問いかけでもあることを僕は知っていた。お互いにまだまだ先が長いよね。心の持ち方ひとつで、大きく変わるね。そんな共通認識を持ったことが、今夜のステーキハウスの最大の成果だったかもしれない。

焼きあがったステーキ。良い匂いだが自分には多すぎないか?いや、若いのだからペロリと食べるべきだ…。