甘い香りがして昼寝から覚めた。それは懐かしくもあり何故みか酸っぱさもこみ上げる匂いだった。
甘酸っぱいといえば初恋だろうが記憶の中でのそれは石鹸の匂いだった。中学一年か二年年だったろう。素敵な女子がいた。何度か交換日記を交わしたかもしれなかった。彼女に近づくと何故かとても良い香りがし心臓は早鐘を打った。石鹸の香りだと思った。
目を覚ましてくれた甘い香りは錯覚ではなかった。キッチンで妻がジャムを煮詰めていたのだった。そういえば柚子をご近所さんから譲っていただいた。ジャムを作ろうと話をしていたのだった。絞るところまでは手伝ったが握力不足なのか手がつってしまい早々に出番を失い引っ込んだ。なんだ、レモンスクイーザーくらいあればいいのに、と思った。早々と戦線離脱したのに文句だけは一人前だった。
外皮も種も果汁も実を包む薄皮もすべて使うという事だった。外皮は何度か茹でるという。種と薄皮はメッシュの小袋に入れる。これと果汁と外皮、それにゆずの重量の3割程度の砂糖と共に煮る。そんなレシピの様だった。種と薄皮の入った袋からは煮込むことでとろみが出るという。良く分からないが何らかの化学反応が起きるのだろう。あとは冷やして出来上がりらしい。
以前は山里の無人販売棚に載っていたカボスだった。これはポン酢とジャムになった。今度はそれが頂き物の柚子になった。数が少なくポン酢は諦めジャムのみとしたようだった。毎朝食べるヨーグルトにはブルーベリーなどを入れるのだがすっぱい。ここにジャムが加わると甘酸っぱくなる。ヨーグルトは癌になってから食べるようになった。ガン細胞は免疫力の低下で細胞分裂の異常が起こると聞いたことがある。その医学的な仕組みは分からないが「寒い冬、自己免疫力を強化しよう」といった栄養乳酸菌飲料などのテレビでの宣伝文句が何故か身に染み心に残るようになった。如何ほどの効果かは知らないが、悪い事はないだろうと信じている。
石鹸の匂いもジャムの匂いもどちらも甘酸っぱいのだった。そういえば昼寝から覚める時に少し夢を見ていたように思う。目の大きなおさげ髪の女子が居た。僕は何故か金ボタンの学生服だった。石鹸の香りに心は揺れて勇気を出して話しかけようとした時に目が覚めたように思う。するとそれはジャムの匂いに変わっていた。あれは一体何だったのだろう。・・そうか、疲れた時は無理せず眠り、免疫力をつけるのがよい、そういうことか。誰かがそんな事を言っているのだろう。そんな声に自分は従っている。
人生も後半戦を迎えると若い頃には感じ得なかった小さなことに気づくようだ。これまでに知り合った方々や彼らの言葉も今更ながら意味のあるものと思える。それにしても何とも不思議で魅力的な匂いだった。また匂ってくれないか、と何処かで楽しみにしている。