日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

幼な子の成長

秋の唱歌が好きだ。四季に応じた唱歌があるが秋の歌はなぜか物悲しい。今でいうならばキーがマイナーなのだろう。そんな難しい事を言わずに唄っていた。

♪ 秋の夕日に照る山もみじ・・か。

♪ 誰かさんが誰かさんが誰かさんが見つけた・・か。

後者の「小さい秋見つけた」はとても物悲しく聞くだけで、そして歌うとなおさら涙が出るのだった。目隠し鬼さん、モズの声・・。侘しい風景を子供心に感じたのだろう。とても好きな唄だ。

今の家に引っ越してきた時には向かいの家にはおばあさんが古びた平屋に一人住まわれていた。人つき合いの良い方で二回り以上違う年齢だろうにも関わらずに世間話をよくした。そのうちに見なくなったと思ったら老人施設に入居されたと聞いた。家は壊された。一本の柿の木が人待ち顔で残されていたのは哀れだった。がそれもなくなった。すぐに今度は鉄筋二階建ての家が立った。一軒家で鉄骨の家とは珍しいと思ったが東北大震災のあとだったのでさもありなんと思った。

庭に何本かの木が植えられたのだろうが垣根の向こうなので気づかなかった。隣家の庭を覗くわけにもいかない。しかし今では垣根を乗り越えて三メートルは伸びただろう木に蜜柑がなっている。日当たりが良いので成長は早いのだろう。そう言えばその家の坊やも今は中学生だった。それにしても早いものだ。

職場の庭にその木がやってきたのは一年前だった。やはり住人が老人施設に入るということで家は壊され更地として売り出されるという。そこから貰われてきたのはまだ幼木のモミジだった。 

西向きの庭に埋められたが、夏などは一番強い陽の光を浴びる場所だった。モミジに水やり、というメニューが自分の仕事に加わった。自分もマメにやっていた。秋の長雨シーズンの間は特に手をかけなかった。

先日庭まわりを掃除していて気付いた。小さいと思っていたもみじが一回り大きくなっていたのだった。僅か半年だった。そしてそこには小ぶりな紅葉が見られた。小ぶりな葉だったが頑張って赤くなっていた。

あたり一面は関東ローム層で土の質も変わるまい。新天地でもしっかり伸びて誰が教えたわけもない季節をしっかり感じて紅葉する。そんな自然のメカニズムに感心した。

木の生長には長い時間が必要かと思っていたがいずれの例でも目で感じられるものだった。庭があるのなら木を植えてみたいと思った。それも落葉広葉樹。成長をそして紅葉も楽しむことができそうだった。その時僕は口ずさむだろう。あの歌を。

夢がまたひとつ増えたようだ。いくつもの夢が自分を囲む。自分は夢に緊縛されたい。それがこれからを過ごすカギではないかと思うのだ。

小さな秋は誰がみつけたのか。幼い木だったが知らない土地に植え替えられてしっかりと伸び紅葉を楽しませてくれた。こんな素敵な木を庭に植えたいと思う、そんな夢を見るのも楽しい。