日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

困りもの

成人を迎えてから老境迄、体系の変わらない人などいるのだろうか?友人でも先輩でも、ずっとスリムな体系を維持している人もいる。スリムだったがあららと思うほど肥えてしまった人もいる。膨らんだり縮んだりする人もいる。立派に肥満を維持されている人もいるだろう。

自分は子供のころからやや肥満体だった。当時友達がつけたあだ名は「脂肪マン」だった。大学時代の友人は「マリ」と名付けてくれた。マリとは毬だ。これは小二か三年の頃に原因があると今でも思う。その頃にある目覚めがあった。ラーメンは今でも大好きで一杯を求めて車に乗って遠征も辞さないが、自分が目覚めたものはインスタントラーメンだった。サッポロ一番の袋メンだったろうか。なにせ美味く学校から帰ってくると自分で作っては食べていた。鍋に水を入れて沸騰したら麺と遅れて粉末スープ素を入れるだけだから簡単だった。少し遅れて知った出前一丁はそこにごま油の小袋がついていた。良い香りだった。その後冷蔵庫のネギを刻んで入れるなど工夫をした。あの頃からちょっとした料理好きになったのだろう。しかし育ちざかりとはいえ三食プラス袋メンでは明らかにカロリー過剰だろう。その上、袋メンの麺は揚げてある。実はそれが美味い理由の一つだろうが、体に良い訳ではないと今になって思う。最近はPB商品が出てきて5個入り250円程度で入手できるので時々買っている。何も食材が無い時は野菜や肉を突っ込んでたまに食べる。なんとも懐かしい味がするわけだ。

その懐かしさがそのまま自分の体形の歴史を物語っていた。物心ついた時から服はすべてLサイズだった。中高生からさらに色気づくころまで、いや今でもズボンの試着ほど嫌いなものはなかった。ウェストに合わせると足は殿様の着物のように余りが出る。上着も腹回り重視とすると袖は手首一つ分は余ってしまう。ダルマの様だった。

インスタントラーメンに罪を着せてはいけない。結局食べ物が好きで運動不足というだけだった。体重は肥満と言うカテゴリーの中で上下した。ガンで半年入院治療をした。すると普通人の体重域に落ちていたがなぜかお腹だけはその存在を主張していた。雪国で最後まで残る雪を「根雪」と言うが、これは「根脂肪」だった。

さて、そんな人間が家では何を着ているのか?昔から決まっていた。化繊のジャージ。綿ならばスウェットというだろう。どちらも勿論腹回りがゴムなので楽だった。これを履いてこたつにゴロンとなると冬も天国になる。こたつの上にはミカンと食べ残してあるお煎餅・・。いつしか夢見て大いびき。ああ、それは父親の風景だった。老人施設への入居前は彼はいつも昼寝していた。ダルマの親玉の様な体系をしていた彼は引退後は好きな旅行もしていたがやがてそれも億劫になったのだろう。そんな彼はジャージ愛好者だった。

実は自分も似たようなものだ。帰宅するとまずジーンズやチノパンは直ぐに脱いでしまいスウェットに着替えてしまう。体を締め付けるものは無くなりお腹のぜい肉は自由を謳歌する。とりあえずこたつに横になるのはやめている。しかしこれには欠点があった。我がお腹の成長に気づかないのだった。退院した時の痩せ方は異常だったのかもしれないが、二年かけて体重は元の値に戻りつつある。これ以上行かぬようにと努力はしている。食べ物を見直す。運動する。しかし一進一退を繰り返しながら前線は膠着ではなくじり貧になってくる。「やや太り気味」のほうが長生きするとも言われるが、どうだろう。

リラックスとは困りものだった。寝るとき以外はゴムのズボンは止めるべきだと思う。それは何の警鐘も鳴らさないのだから。この原稿を書くためにキーボードを叩いている。ジーンズのウェストが腹のぜい肉に罰を与えている。楽ではない。しかしいつの日かこれが何とも思わない日が来てほしい。

仕事をリタイヤして体を壊してから今に至るまで、自分の体、周囲の環境、すべてが激変していた。それらに対応すべく色々な事をしてきたがどれもが長期戦でそれはまだまだ続く。まずはゴムには少しの間退場してもらう必要がありそうだった。

ジャージ、スウェットとこたつ。そしてミカン。最強の組み合わせだが自分には「困りもの」。遠慮すべきだろう。