日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

捻じれたチェーン

油まみれの指先を見て思い出した。香川で自転車屋をやっていた祖父の指だった。子供の頃毎夏遊びに行くといつも祖父はパンクを直しチェーンに油を指していた。その彼の指先は真っ黒で石鹸で洗ってもとれていない。もはや地肌の色と化していた。黒い手指に笑顔で遠来の孫を歓迎してくれていた。

ロードバイクのブレーキがキュウキュウと異音を立てていた。雨上がりだから気にしなかったが晴天でも鳴る。交換時期だった。ブレーキはゴム素材だから柔らかいとも思うが、そのまま使っていると金属のリムが壊れる事もある。それは避けたい。金属の船にゴムのシューが嵌っている古いタイプのブレーキパッドは今はネットでも入手が難しく一体成型品が多い。クラシックな自転車なのでスポーツ感漂うパーツは似合わない。出来るだけ地味な製品を選んだ。

作業ラックに鉄の自転車を掛けてまずは後輪を外した。輪行の際はバイクを裏返しにしてホイールセットを外すのだがサドルが傷つくので好きではない。今日は横着してそのままラックで外そうとした。が、てこずったのでいつものように裏返しにして引っ張り出した。へたれたシューは六角レンチで外して新しいシューに交換した。只のゴムの塊ではなくシューには左右があるので要注意だ。

タイヤを嵌めようとして焦った。なぜかチェーンが捻じれていた。メビウスの輪のように思えた。チェーンが横方向に一回りよじれる事は無い。あったとすれば破損している。何故だろうと考えた。リアディレーラーを戻してチェーンフックにかけたのだ・・。確かに自分のロードバイクのリアエンドは車輪がすっぽりと下に抜け外るランドナーとは異なり、ボトムブラケット寄りにタイヤを押さないと外れない。今まで何度もやってきたことなのに何故か今日はその過程で捻じれてしまった。

自分はこの手の捻じれたり絡んだりしたものが苦手だった。ロープ、糸・・。そうすると決して解けるわけが無いと知りながらそれを引っ張る。ほぐれまいかと。ますます捩れは固くなる。そうなるとあとは切断だ。ゆくっりやればよいのに自己破壊型の性格で多くの損をしてきた。

頭に血が上ると何をしでかすか分からない。ありがたいことに頑丈なチェーンは工具が無いと切断できない。車に載せて馴染みの自転車に行ったらお休みだった。ハンドルを握りながらもう一度考えた。メビウスの輪を作るには紙テープを捻じってから糊付けする。チェーンは初めから捻じれてはいない。一息入れて落ち着こうと思った。この十分間が奏功し自分はある程度平静を取り戻していた。クランクからもチェーンは外れフロントディレイラーの羽の隙間に落ちている。そこも含めもう一度本来あるべき姿にチェーンを戻していったらいつか捩れは取れていた。

それだけの話だった。いつもなら目を三角にして即座に捩れたものや絡んだものはすっぱりと切断していた。容易に切れないチェーンだったのが幸いだった。自分で捻じったのではないのだから必ず元に戻るのは自明の理だが、平静を失うと自分は短絡的になる。なぜ今日はそうなったのか。雨、ガレージでの作業、薄れゆく夕日。何か、焦ったのだろう。

すっかり夕闇に包まれた。急ぐ仕事でもない。今日はここまでだ。頭を冷やして又明日以降とした。洗剤で指先を洗ったがやはり落ちなかった。祖父の指先に近づいている。良い良い、ずっとそれなら悪くない。それは何かに打ち込んでいる証だから。

何故だろう、ロードバイクのチェーンがメビウスの輪に思えた。落ち着く事が必要だった。あるべき姿に戻してくと・・それは解けた。

ブレーキシューの交換。リアホイールを外すのは慣れた作業だった。しかし途中で自転車をひっくり返したせいか何故かこの日はチェーンが捻じれてしまった。焦らねば必ず解けるのに頭がカーッとして平静が消えていた。

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