日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

元旦の朝

♪ダッ・ダララ・ダララ・・ ああ、今年も始まるな。

昨夜はたった一本の缶ビールで眠くなってしまった。NHK-Eテレベートーヴェン第9の演奏会放映を見ているうちは起きていたが、後は憶えていない。年越しそばを食べる事もなく寝てしまったのはこの二週間収まらない咳と肺の炎症か、それに起因する喘息のせいかもしれなかった。深い咳は体力を使う。体を折り曲げるのだからいつか肋骨の内側に明瞭な痛点もあった。晦日に年越しそばを食べなかったのは初めてだったかもしれない。この辺りでは新年カウントダウンが始まると横浜港の船が一斉にボォっと野太く汽笛を鳴らす音が聞こえる。なかなか味がある。しかしそれをも聴き損じた。これも今まではあり得ない話だった。

目覚めと共にベランダに出た。山への挨拶だ。丹沢が見える。この地で自分が選んだ家はどちらからも丹沢の眺めが素晴らしい。最初の家は集合住宅の最上階で山の展望台だった。今の家は戸建てで高さが足りない。が、高望みせずと丹沢の眺めに惹かれて選んだ家だった。丹沢が見えるという事は当然富士山が見える。しかし自分は余り富士山を見ても感動しない。おまけだった。あまりに単純な姿故だろうか。その点南北そして東西に大きく伸びる丹沢は素晴らしい。どの稜線の高まりにも自分の足跡がついている。懐かしい山を自宅から見るのは楽しい事だ。どんな高まりにも鞍部にも記憶があるから。ベランダからの丹沢は見事だった。そして一応いうならば、南側の裾野が欠けてはいるが富士山も良い形だった。家に棲み始めたころは富士山も完璧に見えたのだが視界に集合住宅が立った。自宅から完璧な富士山を見る事は出来なくなった。

散歩には一眼を携えた。300ミリレンズを付けた。狙いは唯一つだった。狭い路地の他人様の駐車場。張り巡らされた電線が邪魔だがその向こうに真っ白な二つの峰を視認することができる。この時期でも乾燥していないとみる事は出来ない。今日は文句なく見えた。日本第二の高峰北岳がスックと峰頭を上げている様には脱帽する。北岳は自分が一番好きな山。奥ゆかしい。その南には第四の高峰間ノ岳が並んでいた。海抜3193mの北岳にふさわしい形容詞は何だろう。秀麗か。南アルプス北部の雄峰群が近所から見える事は喜びだった。日本第三の高峰は穂高になる。北アルプスはさすがに家からは見えない。北岳から間ノ岳は伸びやかで素晴らしい稜線だ。海抜3000mを越えた雲上のスカイラインを何度も歩いた。稜線を見ていると、又登りたくなるのだった。

自宅から数分のところに空き地が出来ていた。昨年末に家を取り壊して更地になったのだ。そこからは今度は丹沢の左手に富士山が完璧に見られた。集合住宅が立ち富士山の一部が欠けたと思ったら、家を壊した空き地から完璧に見えた。都会はなかなか気ぜわしい。

無事に新しい年を迎えた。早々に好きな丹沢と北岳に挨拶も出来た。部屋に戻りアンプに火を入れて流したのが冒頭の曲だった。モーツァルト交響曲41番・ジュピターを元旦に聞くようになったのは何時からだろう。飛翔するが如き終楽章が新年にかける想いとマッチしているように思えたのだろう。

昨年は全く嫌な事ばかりだった。それは確実に自分の心を真綿のように絞めてきた。何かに救済を求めようとしたが日頃の行いの悪さが災ったのかもしれない。起きてしまったことは受け入れるしかなかった。しかし、どうせ受け入れるのなら前向きに受け入れようと思う。そして毎日を笑って過ごす。すると何処かで流れが変わらないだろうか。

好きな山に挨拶も出来た。ジュピターの終楽章も終わった。はてこれ以上何を望むのだろう。昨日まで日々流れていた日常という連続面が、ある日を境に急に変わる事もないはずだ。しかし何故か心が晴れがましい。それが元旦の朝なのだろう。

ベランダに出る。丹沢の山並みが連なる。あとひと月すれば丹沢も真っ白になる。丹沢山、最高峰・蛭ケ岳と主稜線が長い。ちょこんと顔を出す富士山はおまけだった。そんなおまけも十二年前にこの家に住み始めた時は綺麗に見えた。建築物が出来る事は仕方なかった。

初めてここから北岳間ノ岳が見えると知った時は小躍りした。右側にスッとたつ北岳はやはり美しい。自分の一番好きな山、秀麗なる山。

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