日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

仕事納め

あの気持ちはなんと書いたら良いのだろう・・。会社生活での仕事は顧客との関係性において日々が出来事の毎日ではあったが、大きく見ると概ね平坦だったかもしれない。新入社員の頃はまだ月一度は土曜日の出社があった。完全週休二日になる半歩手前だった。しかしそんな土曜日は開放感があった。半ドンだった。仕事を早く終えると皆で昼飯を食べて解散。職場は東京千代田区は神田だったのでその手の店には事欠かない。昼飯なのか昼呑みなのか分からなかった。

十二月最後の数日に仕事納めがあった。その日も又半ドンでなんとその後は誰もが会議室などに集まる。机上に新聞紙が置かれ、紙皿には焼き鳥あたりが並べられている。まだかまだか、ぬるくなってしまうではないか、と焦りつつ誰もが己の缶ビールを確保している。箱にはまだ沢山あるというのに。「それでは今年はお疲れさまでした。良いお正月を迎えましょう。来年も厳しい事業環境の中、一つ一丸となって乗り切りましょう」と事業部長が話す。続いて総務部長辺りが乾杯!と音頭をとる。ああ、待ってましたとプシュプシュと缶ビールが開く。喉がそこら中で鳴りあーッと声が部屋中に溢れる。簡単な料理や乾き物が無くなると若手は片づけ、おじさんはこれから本腰、と三々五々散っていく。勝手に消える人もいたが多くは腰を折って上司や部下に挨拶をしてから事務所を去るのだった。

今思えば、面白いと思う。そうはいってもせいぜい五日も、一週間でもすればまた顔を合わせるのメンツなのになぜこれで終わりです、のように腰まで折って挨拶すのだろう。しかし何かの区切りと言う気持ちがあった。それが年末商店街や飲み屋の慌ただしさと重なり合い嬉しいようなせかされるような不思議な気持ちをうんだのだろう。

パート社員として地域施設に勤めて二年がたった。職員さんの中には実家に帰る人もいる。するとここでまた、あの懐かしき習慣が出てくるのだった。しかも話を長引かせるのは自分だった。

○○さんは里に帰るの?岡山じゃったね。ええね、瀬戸内は食べ物美味いしね。お雑煮はどんなん?鯛がはいるんか?ぶちええな。
ご実家は長野でしたね。明日帰るのですか。中央道こむから大変ですよね。

彼らにしては顔を合わせたから挨拶をしただけなのにこう話を引っ張られると困るかもしれなかった。僕はとおり一般の挨拶を越えた何らかの交流が欲しくてこんな風に話しかけるのだった。

つまり今思えば40年昔の納会も自分は決して嫌いではなかったのだろう。さらにいえばそれを取り巻く慌ただしさが、去りゆく年への別れとくる年への楽しさを何処かで感じていたのだろうと思う。

娘からラインが来た。「今日は仕事納め日で早くももう仕事は終わりにしてしまった。あとは適当に掃除して・・早くもあと一時間は消化試合。納会でガバッと呑んだら部長たちと焼き鳥屋直行。今夜はスナックで歌だなぁ。」なんともオフィス風景が頭に浮かぶのだった。30年の年月は違えど会社の風景には何の変化もないのだな、と思うのだった。「終電を逃すなよ。飲んだくれて寝過ごさぬよう。小田原まで行ったら帰れんぞ。会社携帯とPCは無くさんでな。」とだけ書いた。もちろん返信は来ていない。今頃は「呑み締め」だろう。来年も吞むくせに、と笑ってしまった。

もしかしたら娘もこんな年末の風景が好きなのかもしれないな、いや、それは日本人は誰しもがそうなのか・・などと思うのだった。しかしこうも言える。果て無くつながる日々と言う連続面を何処かで区切ってあげる。その為に手の込んだ仕掛けがある。自分の歩いてきた道を振り返り、新たな思いを抱く。区切りがあれば漫然と生きるのではなく振り返りと望みを持つことが出来る。それを作ったのは神様だとしたら上手い話ではないか。そんな仮説もあっているかもしれない。いずれにせよ「納める日」は良い風景だと思う。自分はもう正社員としては仕事をしてはいないがどこかで無意識に「納め」たがっているのかもしれない。

仕事納めは多くの場合(街での)飲み納め」だった。街でのと書いたのは大晦日を残しているから。いずれにせよコップを倒すまで飲むのは止めたい。

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