日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

北へ向かう鳥

春めいた一日だった。朝の散歩は犬の排泄も兼ねるので欠かせない。風も柔らかい。有意義な日にしようと思う。

朝食を食べながら考えた。県の西部へ梅を見に行こうかと。小田原の近郊は曽我の地に梅林がある。数年前、もしかしたら自分がまだ会社員の頃だったのか、見に行った。死んでしまった初代の犬がまだ元気で、彼は梅林の中を楽しそうに歩いていた。彼はもう居ないが二代目犬にも楽しんでもらおうと思った。

しかし何故か体が言う事を聞かなく力が出なかった。少し遅れて出るか、そう思い横になったらもう昼が近かった。悪い悪いと謝ると、家人は市内の庭園でもいいよ、という。あそこなら三十分で行ける。しかし昼食を摂ると再び眠くなった。ちょっと待ってねと言いながら気付けば17時を回っていた。ずっと寝ていた。

空気の角が取れ外出には良い日だったのにもったいない事をした。このままでは一日を終えたくない、とノルディックポールを手にしてウォーキングに出た。二か月前ならばこの時間は真っ暗だった。しかし今は空に朱があった。気が付かないうちに季節が変わっている。朝でもないのに足元に小鳥が居た。ハクセキレイだった。彼は冬に飛来し越冬する渡り鳥と聞く。こんな小さな鳥にそんな力があるのだろうかわからない。この陽気では彼が北へ去っていくのは時間の問題かな、と思う。

少し体を動かすと身が軽くなる。汚れた血液がすべて入れ替わったように思える。ずっと寝ていたのでいつか疲れが取れていたようだった。自宅は丘陵地の尾根の上にあるので少し長く歩くと必ず谷戸の下に降りて又登る羽目になる。速足で登ると汗が出た。

その後は週一度の贅沢日にした。夫婦で銭湯に行く日をそう呼んでいる。今日は一番近い素朴な湯を選んだ。露天には人口炭酸泉もある。ぬるいがそれは何故か暖まる。犬好きな呑気な番台の女性の人がらも良かった。

暖かい湯に入るとスーッとちからが抜けていく。今日は何故体が動かなかったのかよくわからない。頭がフラフラして体の芯が抜けたような日だった。あの時と似た症状だ、また脳腫瘍でも出来たのか、そう思い始めると重く暗いいループに陥る。体を動かし熱い湯につかるとそんな思いは無くなる。露天の炭酸泉には先客が一人。彼はそこで文庫本を広げていた。環境を変えると読書は進む。自分が公園などの野外で本を読むのも同じだった。手を濡らさなければ本は大丈夫です、そう先客は言っていた。彼はとても贅沢な時間を過ごしてるように思えた。

やはりこうして湯につかるとほぐれるな、長生きできそうだ。そう口に出たのだがその後すぐに自問自答があった。「長生き?それを望んでいるのかい?そこまでしてなにがあるのか」と。三年間施設で過ごし世を去った父を思い出した。施設と自宅を行ったり来たりしている母はもう歩行もままならない。自分が高齢者送迎運転手を務めていた頃の方々は歯が抜けるように世を去り、あるいは我が子をそれと認識できずにいた。

人生の終焉はどうなるのだろう。余命を自らが知る病に罹患するのか、何も知らないで急に苦しみ直ぐにいなくなるのか、車に轢かれるのか、登山中に足を滑らせて崖を落ちるのか。誰も何も分からない。健康年齢とはいくつまでだろう。個人差がある。それまでの長さも、誰も知らない。自分が先か妻が先か。それもわからない。考えても仕方のない事だった。

僕はどうしたらよいのか、なぜか孤独だった。答の無い行先へ向けてただ誰もが歩んでいる。そして思う。誰もが皆孤独に違いないと。

春めいた日に一羽の鳥が飛んでいくとしたら彼は自分の行き先を知っている。誰が教えたわけもないのに、北へ向かい飛んでいく。その姿はひどく確信に満ちているに違いない。ポツンと置いてきぼりになった自分。欲しいものは、確信だった。が何を信じるかがわからないのだった。

冬の寒い朝に彼を見たのは昨年だった。今年も来たのか。これから北へ帰るのかい?僕はその確信が羨ましい。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村