日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

犬が食べないもの

子犬から飼い始め虹の橋を渡ってしまったその十二年の間、我が家の犬は何でも食べていた。犬は味音痴だが食いしん坊。食べ物はあればあるだけ、口にできるものは出来るだけ見境なく食べると聞いていたがまさにその通りだった。ある日帰宅すると向こうからシャリシャリと何かが駆け寄る音がした。ゴミ袋が走ってきた。彼はゴミ袋に頭を突っ込んでいたのだった。ある日はお弁当の容器が胴体についていた。弁当容器の底箱はどこにいったのか。弁当箱の外周のみが胴衣のように体に絡んでいるさまは、呆れを取り越して笑いしかなかった。

つまらない事で妻と喧嘩した。傍目には穏やかな性格と思われがちな自分は実はとてもヒステリックで、直ぐに怒りが頂点に達してなんでも物を投げてしまう。もちろんそこは計算して、相手にはあたらないように軌道を計算して投げる。昨日は手元にあったスマートフォンを投げてしまった。怒りの度合いに応じて投げる力も強いのだ。強烈な力でそれは飛翔し転がった。なんと、これまで不注意で落としても割れなかったスマートフォンの画面にひびが入っていた。それが新たな怒りを呼んだ。今度は妻に対してではなく自分にだった。こちらの怒りのエネルギーのほうがはるかに大きなマグネチュードだった。買い替えなくてはいけない。予定外の出費もきつかった。

翌朝の目覚めは遅かった。夜間頻尿で何度か目が覚めるのは不可避だが、暖かい布団はすぐに眠りを誘う。十時まで寝てしまった。疲れ気味だからもう少し、と十時半になった。膀胱が張り裂けそうなのでしかたなくトイレに向かった。居ないはずの妻が居た。彼女は今日は朝から墓参りに行くと言っていたのだった。顔を合わさないで済むと思っていたら計算が外れた。いつもの朝食が用意されていた。不機嫌な顔をしてどちらが先に話しかけるのか待った。行ってきます、と妻は出て行った。しかし五分もしないうちに戻ってきた。思い直したようだった。今度はこちらの番だった。「明日行こう。車に乗ってね」、と。

夫婦喧嘩は不思議だ。もう話しかけないと心に決めたのに黙っていることが難しい。どちらが先に話しかけるか。今後の形勢を握る心理戦でもある。しかしじっと不機嫌な顔をして黙っているのも難しい。無視して素通りもさらに難しい。そのうちに不機嫌を装うのが馬鹿馬鹿しくなり、思わず笑ってしまう。

こんなとき彼はトコトコと駆け寄ってきて二人を見上げるのだった。犬とは本当に不思議な生き物で、けんかの仲裁もするのだった。夫婦喧嘩は犬も食べない。そんな言葉がある。飼い主のいさかいは不安だろうから近寄ってなだめるが、終わってしまうと彼は役目は果たしたと尻尾を振りながら帰っていく。そんな彼ももう居ない。

天国の彼にはあまり迷惑もかけたくないのだった。自分ももう歳なのだ。丸くなるべきだ。犬が食べないものは自分にもいらない。なんとかならぬか、この自分。

彼はとにかく何でも食べた。しかし唯一食べないものがあった。

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