日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

四姉妹で誰が好き?と言われても

例え親が同じでも、四人の姉妹がいればそれぞれの性格は違うだろう。二人の娘しかいない我が家ですら、彼女たちはそれぞれ個性的で性格は大きく違うのだ。

四姉妹のうちの二人に会う機会があった。手にしたパンフレットには「情熱と枯淡の融合、作曲者の真骨頂たる至高の境地」、そして、「伸びやかにして緻密、旋律美と高揚感溢れる至純の世界」と書かれている。四女と次女の事だ。

なるほどな、あの二人は本当にその通りだ。僕は四人と共にとても長い付き合いで皆それぞれの個性に惹かれている。浮気者ではないのだが四人とも素晴らしいのだから仕方ない。時に深く時にはあっさりと皆さんと付き合っている。残りの2姉妹もとてつもなく魅力的だが、今回会えなかったのは残念だった。

次女と四女と、今回じっくり向き合った。長女と三女とも向き合うとなるとやはりもう一晩は必要だ。

書き忘れていた。四姉妹とは、四曲の交響曲。作者はヨハネス・ブラームス

秋山和慶指揮・東京交響楽団による「ブラームス交響曲演奏会」のプログラムは4つの交響曲から偶数番号の2番と4番の選曲だった。ブラームスのシンフォニーを生演奏で聴くのは10年以上ぶりか。それはパリのシャンゼリゼ劇場で、クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団により二夜連続のチクルスだった。

静かに、時に燃えたぎる情熱、晦渋でいて枯淡、淡いロマンチシズムと秋の夕暮れの様な寂しさ。異なる性格は同居し、時にどちらかが前に出れば、次は合の手が出てくる。どう単語を並べればブラームスの音楽の素晴らしさを表せるのか、自分にはその術がない。

開演前の独特の緊張感には何度演奏会に行っても胸が躍る。楽屋では各パートが念入りに最終調整してる。どういうわけか今日は交響曲2番の第4楽章の様々な楽器のパート練習がよく聞こえたのは何故だろう。やはり明朗な躍動感に満ち溢れるあの楽章は難しいのかもしれない。そんな鮮やかで気ままな音の彩りもやがてスッと止む。ブザーが鳴り楽団員が入場する。さっと座りオーボエのつむぐ「A」音にコンサートマスターがあわせる。「A」の全奏は胸にしみわたる。

エストロがゆっくり入場すると満場の拍手だ。しかしそれも彼の一礼に続きオケにさっと振り向きタクトを挙げるとピタリとやむ。この瞬間にもし血圧を測ったら自分は180を軽く超えているだろう。

10年ぶり以上に生で聴くブラームスのシンフォニーはさすがに腹に響いた。

四番の第一楽章、展開部でホルンが朗々と雄大なフレーズを吹くと、そのまま自分も空に浮かび上がりそうだ。第三楽章ではトライアングルが見事な仕事をしているのが分かる。ゆっくりと回るような展開の第四楽章では力強いパッカサリアで終わる。

二番は明朗で伸びやか。特に第4楽章は畳みかけるように入ってくるリズムと曲調の展開で、聴いているとじっとしているのが難しい。今回の演奏も、さすが団員さんが楽屋で最後まで音を確かめていた甲斐もあるのか、フィナーレの大爆発まで体が勝手に動くことを止めることは出来なかった。

エストロと楽団員には長い拍手が止まない。もう80歳を超えた大巨匠、秋山和慶さんの指揮に触れたのは2回目だろうか。30年以上前にNHKホールにてN響で聴いて以来か。演目はベートーヴェンの4番辺りだったかもしれない。あの時と同じく、素晴らしい円熟の音を聴かせていただいた。是非次回は今日会えなかった残りの二人にも会いたいものだ。

キーボードに向かいながら、今、四人と再会している。丁度今は三女が流れている。素晴らしいな。では結局、「四姉妹で誰が好き?」という問いには答えがでなかった。皆好きだし、その時の自分の感情にも因るのだから。

フランソワーズ・サガンの「ブラームスはお好き?」でももう一度読んでみたら答えが出るか? ポールはロジェとシモンの間で最後まで揺れ動いたな…。その揺れ動きは、四曲から一つ選べない自分と変わらないのかもしれない。サガンはそんな人間の心を、同様に人を迷わせる作曲家の名を借りて、その小説の魅力的な題名にしたのだろうか。

例え好きな人が四人いて一人を選べなくとも、音楽の世界なら許されるだろう。質問が野暮だと、言いたい。

(演奏会:於2022年7月31日、昭和音楽大学ホール(ユリ・ホール)、川崎市麻生区

演奏は終わりカーテンコールに。鳴りやまぬ拍手に、感動と興奮の演奏会の幕は閉じた。

もちろん「お好き」です。でも一人を選ぶことが出来ないのです。