日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

一人ぼっちの校庭にて 

♪春なのにコスモスみたい♪

そんな古いコマーシャルソングが頭の中にずっと残っている。歌詞の進展はなくただそのフレーズが僅かに異なる音符や転調によって続き、そこに商品宣伝のナレーションが入ったと記憶する。すこしシャンソンのような趣のあるメロディは子供心にもおしゃれで、甘酸っぱいものを感じさせた。今思うとそれは資生堂のコマーシャルだった。山口百恵さだまさしの「秋桜」を歌うよりも昔の話だ。

コスモスは秋の花。しかし今は春。明るい春に、少し秋のようなシックな化粧をしませんか?そんな意図の宣伝だったのだろうか。「言葉遊び」ではないが相反する2つの言葉を並べる事の妙を、幼心にも感じたのだと思う。

コスモスの咲く秋は素敵な季節だ。9月も半ばを超えると夏の残滓は波が去るように消えていく。天空はますます高くなり少し尖りかけた風も肌には心地よい。そんな風に金色になびく稲穂が心の中に虫の声とともに温かいものをくれる。ひと月も経てば紅葉の名の下に赤や黄に化粧する木々が美しい。秋と言っても表情は豊かだ。

しかし注意しなくてはいけない。何故か食べ物も美味しくなる。「天高く腹太るる秋」になってしまう。肥えるのは馬ばかりではないのだ。

そして何よりも「夕暮れ」が素晴らしい。心の中に、こんな風景が残ってはいないだろうか?

校庭で遊びに夢中になっている小学生。砂場、缶蹴り、追いかけっこ、三角ベース。他愛もない遊びは時間の経過を忘れさせる。冷たくなった空気に一人また一人と仲間は家に帰ってゆく。熱中しすぎた!

気づくと空は赤く焼けて、その上は早くも墨色に染まっていく。遊具の影が校庭に長い。あ、誰もいない!

そんなとき、大きな不安に包まれて、それを追い払うように駆け出すのだ。怖くて少しは涙もでる。

その時に見た空の美しさ。齢60を迎える自分でも、今あの色を形容する言葉を持っていない。

なぜならそれは混色なのだから、と思う。単なる空の色彩に加え、濁った大人にはない子供だからこそ持ち得た心の中の色が混じっているのだろう。確かに寂しさを初めて感じたのは、間違えなく秋だった。

そんな秋の夕暮れ。年月という数えきれない腹太るる秋を経た今なら、僕はその気になれば心の風景にいつでも秋を呼べる事を知った。

音楽だ。ブラームスを聴けば直ぐに秋の寂しさが自分を取り巻く。彼の音楽には憂愁がある。劇的な感情の爆発も、柔らかな明るさも、ゴシック建築のような堅牢さもある。しかし自分が惹かれるのは常に根底にある、秋の夕暮れを感じさせる「優しい寂しさ」だった。

特に室内楽や器楽曲にはそんな細かい感情が聞き取れる。それが好きだ。有名すぎる弦楽六重奏曲1番、クラリネット五重奏曲、ピアノ五重奏曲。器楽だと間奏曲第2番作品118。挙げだしたらきりがない。木管は空気に溶けるようにやさしく、ピアノは空気に磨かれたようにまろやかに鳴る。なんという憂いと優しさだろう。

オーケストラ物も負けていない。4曲の交響曲の、2曲のピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲でも、緩徐楽章の切なさと甘さは表現のしようもない。終楽章の爆発は苦悩に打ち勝った青年ブラームスそのものか、年老いたブラームスの人生観の表出なのか。ハイドンの主題による変奏曲で聴かせる穏やかさ、運命の歌やドイツレクイエムなどの合唱曲で聴かせるフーガのドラマチックな世界。様々な風景がある。

水戸室内管弦楽団の第109回定期演奏会ラデク・バボラーク指揮)を水戸・水戸芸術館に聴きに行った。目当ての一つ、ブラームスの演目は、セレナード第2番。今回の小編成のオケの配置は通常はバイオリンやヴィオラが占める下手に木管が座り、弦楽器は上手に座っていた。管がリードを取る音楽なのだ。恥ずかしながらこのような配置で演奏される曲だとは、いやそんな配置があるとも知らなかった。曲をリードする柔らかなフルート、クラリネットオーボエ、そしてファゴットの音色が心に染み入る。弦はヴィオラ、チェロ、コントラバスが曲の支えに徹する。ティンパニーがないのにパーカッシブな生き生きとしたリズムが生み出されるのは、弦部隊が弓で弦をたたいているからだ。ピチカートとは違う。

冒頭からユニゾンで入ってくるまろやかな管の音色に、たちまちやられた。指揮者のパボラーク氏の、踏み込む足のステップ音や吸う息、吐く息が聞える。棒の動きにオーケストラは柔らかく、強く反応する。繊細な音楽でもあり、生きた熱い音楽でもある。

瞬く間もなく僕は、独り校庭に置いて行かれてしまった。昔日の秋の夕暮れが淡く包み込み、そして煮え切らずに何かくすぶっていた青春の苦悩が浮かび上がる。

先日40年ぶりに読み返したフランソワーズ・サガンの小説「ブラームスはお好き」を不意に思い出した。シモンがポールに問うたという「ブラームスはお好きですか?」という台詞。いったいどの曲をサガンはイメージしたのだろう。

そんな小説の中にも表れ、自分の個人的な心のひだを見事に音で紡いだブラームスは時代を問わずに素晴らしいと思う。

コンサートホールの外に出ると涼やかな初夏の夕べの風はすこしばかり冷たい。夏浅き日に感じた秋空の色と憂愁な音。それは懐かしいコマーシャルソング、「春なのにコスモスみたい」のようだ。「全く、素晴らしい日だった」。一人ぼっちの校庭を肩をすぼめて歩きながら、音楽の余韻に酔う。

フランソワーズ・サガンの小説。題名に惹かれたのか、人気があったからか、ブラームスに傾倒する頃に読んだ記憶がある。今回の水戸室内管弦楽団演奏会プログラム冊子は読みごたえがあった。

PS: 動画サイトより

ブラームスセレナード第2番:レナード・バーンスタイン指揮、ウィーン・フィル 
https://www.youtube.com/watch?v=WxfNdCOH9jg

・CMソングの正体はこれ。1973年のCMという。歌っているのは天地真理だろうか?
https://www.youtube.com/watch?v=Bw1XXlaSd24