今の世の中、買い物に現金を使う人の割合はどの程度だろう。少なくとも駅で切符を買う人は新幹線などを除くとほぼゼロだろう。非接触IC技術が開発されてからはICカード一枚で事足りる世の中になった。バスも然りだろう。
いつもの駅とは違う私鉄に乗ろうとしたのは乗り換え無しで東京都東北部まで一気に行けるからだった。その駅へのバスの本数は多くはない。曇った冬の空の下を走り、逃したくないバスになんとか間に合った。
財布の小銭入れが重かったので使おうと思った。ICカードの残高も定かではなかった。息をきらしながら硬貨を入れた。すると賃金箱はエラー音を発して異種コインが投入されました、と表示が出た。
新五百円玉だった。あ、またか。こいつはいたるところでリジェクトされて釣り銭口に出てくる。困りものだった。しかしその時は急いでいた。仕方なくICカードを当てるとを残金不足だった。オートチャージをしていないのは青天井もありうる自動課金が怖いからだ。これを逃すと間に合わない。怒りは一気に燃え上り口に出してしまった。
日本のお金なのに何故通らないのだ?と。運転士さんは申し訳無さそうに未対応なのです、と言われた。結局千円札を投入した。
偽硬貨が多いのか。いつの間にか五百円玉は新しくなったのだがキャッシュレスの時代では自販機、レジなどのへ対応は後回しされるのだろう。一昔前に二千円札があった。今もあるかもしれぬが仮にあれを手にしたら怒りはもっと増えるだろう。新硬貨、新札を発行する以上はインフラも考えてほしい。
しかしもっと情けないのは罪のない運転手さんに怒りをぶつけたことだった。よくいるクレーマーと変わらなかった。あれはなんの怒りだったのか?加齢による短気で片付くのか?もう一本早いバスに乗れば余裕もあったろう。オートチャージにしておけば済んだのにデジタルになりきらぬ自分もいた。
二十分のバス乗車時間は怒りから反省へと自分を変えてくれだ。乗っているのが恥ずかしくなった頃に、駅前についた。下車するときに運転士さんに怒ってごめんなさいと謝った。いいえ、という彼の微笑に少しだけ救われた。バスを降りると曇り空の一角が明るく、陽が漏れていた。何か救われた気がした。
新しい硬貨は流通しなかったが自分を見つめ直し反省する機会をくれた。造幣局はなにかを見直すチャンスを与えるためにわざわざ手の込んだトリックを用意してくれたのだ、と思うことにした。曇りのち、晴れだった。