日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

少しは考えさせて下さい

何事もおろしたては気持ち良い。下着、シャツ、ズボン。シワ1つなく繊維の匂いも心地よし。

新しい車に乗っている。まだ新車の匂いがする。この匂いは人によっては嫌いというのもあるらしいが、短い期間だけしか香らないのだから自分にはやはり気持ち良い。

箱型の四駆。免許を取得した時からこの車種一筋。サスペンションの硬いクロカンの為のクルマ。2ドアの軽自動車では家族が増えたときは流石に手狭で他の車種に変えたが、彼らが成長して共に行動する機会も減ってきたらすぐに原点回帰した。

20年ぶりにモデルチェンジした車はとても今風になっていた。大きく揺れるサスペンションは変わらずにどんな不整地でも走れそうだ。車として全体の堅牢感はより確かになったかもしれない。とても良いクルマでこれに乗ると喜びで血圧が上がってしまう。

概ね満点な車だがどうもピンとこない機能もついていた。オートライト、オートクルーズ

「オートなにがし」というのは人間を楽にさせてくれるものだろうが、困ることもある。

オートクルーズはヨーロッパで乗っていたドイツ車以来だが、一定の速度を確実に維持するのでアウトバーン向きではあった。今度も高速道路で使って見る。時速80キロあたりでセットする。速度の微調整は指先でクリックするのみ。足を動かす必要もなくなり楽になるが、とっさのときに上手く体が反応しない。しかも右足を動かさずに済むので乗車ポジションが固まるのか、腰が痛くなってくる。また、一定速度を無理に維持するためか、エンジン回転は頻繁に変わりあまり燃費には優しくないようだった。オートクルーズはオフにも出来るし、腰痛は腰に挟むクッションで解決できる。

オートライトは曲者だった。明暗を自動で検出しヘッドライトが付くので安全ではあろう。しかし運転していると「ライトを消したい」時もあるものだ。高速の走行車線を走行中、横からの合流車両を先に入れたい。その時自分はいつもヘッドライトを落としてポジション球だけにしていた。それが合図で相手には良く伝わった。しかし今のクルマは走行中はライトを消せない。充分明るい野外でも日陰に入ると何故かオートライトが点灯する。ハロゲン球からLEDにかわり輝度が強烈になった。自分は目が眩むようなあの光を昼間は浴びたくない。昼間にこれを浴びせられるドライバーはどう思うだろう。センサーに人の気持ちはわかる術をもない。オートライトが点灯するとナビの画面が連動して夜間モードになる。明るい昼間には夜間モードのナビはほとんど見えない。

すまないけど、ヘッドライトのオンオフくらいは自分でやります。自動追随やオートパイロットとさらに楽できる機能も一般的になってきたようだが、これもいらぬお世話に思えてしまう。新しいものに慣れないのは年寄りの証拠と言われるだけかもしれない。

世の中には色々な人がいる。良し悪しを越えて慣れた習慣もある。新しいものに無理やり慣れてくださいというのもわかるが、新しいものを作る際には世の様々な既存の多様性について考えてほしいと思う。

人間は余り楽になりすぎるとボケまいか。「少しは考えさせてください、頭を使わせてください。」そんなことをサイコロのようなクロカンのクルマに手を置き、いつも呟いている。そのうちにおろしたての匂いも消えて、日常になる。自分も又新しいものに慣れて当然に思う事だろう。しかし楽に身を任すだけには注意しよう。

色々良くなっている。燃費もわずかながら改善した。しかし余計な機能もたくさんついた。誰もがそれを望んでいるわけでもないのに。いや、慣れかもしれぬ。