日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

チッキとライゼゲパック

BSで再放送をしているNHKの朝ドラを見ていた。それは1980年代初頭の作品で、今も現役、あるいは鬼籍に入られた懐かしい俳優さん達が出演されていた。終戦後の日本の社会で女性が自らの意思を持ち自分の価値観で自立していく、そんな話だった。1980年代初頭といえば自分はまだ高校生だった。そのころから女性の自立はNHKの朝ドラのテーマになっていたのか。あれから40年以上経った。確かに日本のジェンダーロールは大きく変わり、今や男性の育休、週末の赤ちゃん抱っこをしたご主人。そんな姿は一般に見かけるようになった。社会の仕組みを支えた終身雇用は形骸化し、少子化で年金システムも崩壊の兆しが言われている。まだまだ社会は変化の途上だろうが、確かに当時からは大きく変わっただろう。

そんなテレビドラマの中で、懐かしい日本語に触れた。「チッキ」だ。

「今更旅行を取りやめるなんて!もう荷物もチッキで送ってしまったのよ」

そんな会話だった。チッキで荷物を送る。これを知っている日本人は今はどれほどいるのだろう。

チッキは「駅止め荷物」。定期運行をしている列車に預かり荷物を載せてもらい目的駅で受け取る、そんな仕組みだった。まさに駅止めだ。自分の記憶にあるチッキは家族で住んでいた横浜から両親の郷里である香川に荷物を送るものだった。夏休みの帰省の際は母親はひと夏を滞在する荷物をチッキで郷里の最寄り駅まで送っていた。値段も安く、便利な仕組みだったのだろう。

そんなチッキが日本でほぼ絶滅した理由の一つは宅急便の進化ではないか。郵便局の小包に対抗する様に民間企業が始めたサービスは1980年代にあっという間に日本に広まった。10から15年前、自分の住んでいたドイツやフランスでも、ここまで完成度の高い宅配システムは知る限り存在していなかった。

そんな死語となったチッキ。実は当時のヨーロッパにはしっかりと存在していた。ドイツとスイス。駅には「Reisegepäck(ライゼゲパック)」と書かれた場所があり、そこで荷物の行先迄の代金を払いチケットを貰う、そんな仕組みの様だった。歯切れの悪い書き方をしたのは個人的には実際に使ったことが無かったからだ。友人はスイス国内の移動で利用したことがある、と言っていた。

チッキやライゼゲパックがきちんと機能するとはどんなことなのだろう。何事もきちんと仕事を行う几帳面さが無いと、持ち主不在の荷物を確実に目的地に届けるという事もそう簡単ではないだろう。それ専門の業者ではなく、あくまでも鉄道会社の片手間の仕事なのだから。

ドイツもスイスもその仕組みはゲルマン民族が造り上げた社会システムと言えまいか。乱暴なくくりかもしれないがスイスは4言語国家ではあるが人口の6割以上はドイツ系だ。日本人が思うドイツ人のステレオタイプとしてはやはり「正直」さ?だろうか。デュッセルドルフの街中で夜半に誰もいないことを良い事に信号を無視して横断歩道を渡ったら、現地人にひどくたしなめられたことがある。その話を会社でしたら「赤信号で渡って事故に遭ってもそれはあなたのせいになるぞ」と言われた。その後移り住んだパリでは、信号の色の判断は個人にゆだねられているかのごときであった。

自分にとっては多少息苦しいほどの実直な国民性。だからこそ日本と同様に駅止め手荷物・Reisegepäckが機能しているのだろう。

チッキは消滅したかのようだがご自慢の宅急便はもっとも頼れる荷物運搬サービスとして日本では不動の地位を得ている。しかしよく考えればチッキの頃の精神と変わらない。実直さ、勤勉さに加え、日本人には滅私奉公という古き価値観がどこかに残っているのではないか。そうではないと夜通しでトラックを運転し集配所へ送り届ける、そこから軽トラや自転車に乗せ換えて相手に届ける。時間指定に対応し更には再配達すら行う。そんな芸当は誰も出来ないだろう。滅私奉公を辞さずに正確に実直に仕事を行う事が、多くの日本人の気づかぬ「誇り」であり「いきがい」になっていることは想像に難くない。ほぼ全員がそうであるならば共通の「倫理観」ともいえるかもしれない。実直な国民性のはずのドイツでも、IKEAで家具を買っても指定時間に荷物が届いたためしは一度もなかった。それほど日本人は突き抜けているのだろう。

そんな日本でも価値観はどんどん変わっていく。ジェンダーの垣根も取り払われ滅私奉公も消えたかのようだ。しかし日本人が古くから大切にしていた価値観・倫理観は残ってほしい。チッキとReisegepäckが機能する国は、素晴らしいのだから。

自分は一度も使わなかったライゼゲパック。今でも確実に正確に機能している事だろう。